白い朝

土曜日の朝6時。気温はほぼ零度くらいでしょうか。色々着込んで、私は畑に出ていました。

畑は霜で真っ白。昨晩は真夜中近くに田舎に着いたので、絶対朝は遅くまで布団の中でぬくぬくしよう…と私自身も思っていたので自分の取った行動がいささか驚きでした。ピーチはまだ私の布団の中でいびきをかいて寝ています。だんなもまだ目覚めていない。彼らが目覚める前にできるだけやってしまわねば…。

畑の脇には剪定くずや落ち葉、雑草を一まとめにした小さな「堆肥山」ができています。これは1年間の庭や畑ででる全ての有機質を山積みにしたもの。

冬に一回、植木屋さんに入ってもらって剪定した庭の梅、柿、もみじ、松、しいの木、ポプラや木蓮の、その年に延びた「徒長枝」と呼ばれる真っ直ぐに垂直に伸びた長い枝が大量に山積みされるのを皮切りに、春夏に大量に抜いた雑草や掃きためた落ち葉、野菜くずなどが積み重なり、下のほうから堆肥化していきます。冬に植木屋さんが入ると新しい枝葉が積み上げられるので、その前に「前年分」の堆肥山を崩してすべて畑に蒔いたり、埋めたりします。

おととし死んだ隣の農家のおじさんは、私に「まず山の上にのっかって何度かピョンピョンとんで見る。ほーすれば下の方でまだ形が残っている細い枝も全部粉々になるら。ほんでそれを土に鋤き込む。」と教えてくれました。こうして一年のサイクルの中で畑に戻すべきものは全てもどして、翌年のサイクルを迎えるのです。

ただ、土日だけしか田舎にいなくて、しかも料理もしたい、ピーチと長い散歩もしたい、バスケットも編みたい、温泉も行きたい、なんて思っていたら丁寧に畑に堆肥を鋤き込むような手間はなかなかかけられません。

とにかく植木屋さんがまた古い堆肥山の上に今年の剪定くずを乗せてしまう前に、今年分の有機質をすべて堆肥山から畑に移動しなければ…。堆肥化しているものも上の落ち葉も一緒にフォークで混ぜて、ひたすらバケツにつめて畝に持って行き、雑草の生えている畝の上にそのまま厚く盛っていきます。これで下の雑草に日があたらなくなればこちらもいい具合に堆肥化してくれないかな、と都合よく期待して(^^

今日は朝から今年分のこの堆肥山をすべて畑に返す作業を終わらそうと決意して、まだ真っ白な畑に朝早くからでてきたのです。でも朝日が当たる前の畑にでてきたからこそ見られる美しい光景も。朝は野菜も雑草も、一様にたくさんの霜のレースをまとってすごいおしゃれです。大きくなりきれず、葉っぱが巻かなかった白菜も、このとおり。
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レースのような葉のニンジンはさらにエレガント。
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堆肥山の上に積もっている落ち葉をのけていくといろいろなものがでてきます。まず秋に取り忘れたカボチャ。台所においてあるものよりよっぽど瑞々しいです。
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収穫した時、間違えて外葉といっしょに捨ててしまった小さい大根も全くフレッシュなまま。堆肥のベッドってすごいものです。少し掘り進めると中からはごろごろとカブトムシの幼虫もでてきました。写真はちょっと「ドーンっ」てな感じの幼虫なので割愛します(笑)

6時半。となりの家の屋根の上から朝日が一条、畑に差し込んできました。

そうするとさっきまで繊細なガラスの膜で覆われていたような植物の葉が、あっというまに霜のフリルを脱ぎ捨てて、しゃんとしてくるのです。買ってきた野菜の葉は冷蔵庫が寒すぎて凍ってしまうと組織が破壊されてドロドロに解けてしまいます。けれどもこれらの耐寒性の生きている葉っぱたちは、自分たちの体の中から凍らないようにできるんですね。こういう野菜たちを体に入れたら、人の体に良くないわけがない…と理屈でなく感じます。
# by nicecuppatea | 2009-02-09 21:31 | 畑の野菜・くだもの&いきもの | Comments(0)

ゆとりの生活を追いかけて

先日も書きましたが、私も田舎で土をいじったり、バスケット編んでみたり、こまこまと畑のもので料理してみたり色々と手を出していますが、それもこれも、週5日間フルタイムで、時には残業もしながら会社で仕事して、それでも時間的、精神的に少しでも「ゆとり」のある生活ができれば、と思うからこそのことです。

ただ、実際毎日の自分の生活の中で、本当にゆとりが生み出されてきているか、というとなかなかそういう実感がありませんでした。

「効率化」という言葉には無機質なトゲがある気がしてあまり自分の私生活にまで持ち込みたいとは思いません、が、何かちょっとしたことに気を使ったら「平日の夜でもバスケット編みの気力も時間も残ってた!」となるようならば、ぜひそうなってみたいものだと思います。

早起きする、自分の時間を何に使ったか管理する、手帳を有効に使う、とノウハウ本は色々でています。ただ自分の生活に実感をともなって「これなら私にもできる」というものでないと、私生活まで「管理され感」が強くなりそうで、巷のノウハウ本などにも手を出したことはありませんでした。

きっとこういうのって、本に載っているのをそのまま試すんじゃない。自分の生活の中であればどんなこと?って自分で小さなアイデアを見つけていくものなんでしょう。遅まきながら私の生活も自分で振り返ってみました。書き出せば恥ずかしいような小さなこと、例えば…

ピーチに朝晩のフードと一緒にあげる温野菜は毎日煮ないで数日分まとめて作る
帰宅したら座り込む前に着替える(小学生かよ、って感じですが(笑))
夕食を終えたらそのままダレないで夜のピーチの散歩に出かける前までに翌日の晩御飯(せめて一品分)の下準備もする
朝、胃もたれした気持ちにならないように、夕飯には揚げ物を食べない
朝目覚めたら、寝床でテレビをつけて覚醒を待つ時間は15分まで!

こんな小さい自分との約束の積み重ねならば、マニュアル本より敷居が低くて(レベルが低くて、とも言う)、とりあえず試してみられそうです。
# by nicecuppatea | 2009-02-04 19:46 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

プロセスを楽しむ

最近巷では不況にからんで、節約術、外食ではなく家庭で安くおいしく料理するコツ、スーパーの価格値下げのニュースなど、「不況の中どうお得に生きていくか」みたいな切り口のニュースが連日テレビや新聞を賑わしていますね。

確かに、身入りが減ってきたり、原材料の高騰で商品の値段が上がったりする中では、日々の普通の生活が難しくなってきているのは事実なんでしょう。でも時々思うことがあります。

「だってXXに○○円かかるでしょ、△△も買い換えないといけないし、◎◎もしないといけない、◇◇も必要…ああお金が足りない」なんていう言葉を巷で聞くたびに、「でもそれって本当に思っているほどのお金をかけないとできないことなの?」と。

イギリスにいる時友人知人を見ていて驚かされたのは、誰もが何でもかんでも「自分でやろうとすること」でした。家のドアのつけかえ、台所まわりのタイル張り、リビングの壁のペンキ塗り…。「すごいね」と感嘆する私に「人に頼むとお金がかかるのよ。それに本当に腕のいい人かどうかもわからないわ」。どうせ下手ならお金を払わずに自分でやったほうがまだまし、ということでしょうか。高いお金を払って大工さんに依頼する日本では圧倒的にお金を払った人の腕をお客である我々が信頼していますが、どうもそういう事情でもないようでした。それがDIY(Do It Yourself)をこれほどイギリスで盛んにした裏事情のひとつとも言えるかもしれません。

その代償として、お手洗いの取っ手を勢いよく回したらそのまま抜けてしまったり(ちなみにディナーでお呼ばれしたお宅での出来事でした…)、雨になると湿度を吸った勝手口のドアが「開かずの扉」と化すような立て付けだったりと、驚くような不具合もでてきたりしますが(^^でも、DIYだけではありません、家族旅行の手配、自分の結婚披露宴のアレンジなどなど、とにかく自分でやっているから、人に頼むのとは比べ物にならないほど安く済むのだろうな、という例はたくさんありました。

「そんなこと、忙しくてしてられない」という人もいるでしょう。一般的に日本人は(と大きく括ると誤解がありますが、概して、の話です)、自分で考えるのは時間がかかるしよくわからないから、多少お金がかかってもきっちりした形で出来上がっているパッケージ、セット、といったものに惹かれる傾向があるのではと思います。朝・昼・晩と食事が全てついて、何も自分で心配することのない海外パッケージツアーなどを好むこともしかり、保険に加入するといえば、「提案メニュー」としてユニットタイプをそのまま使ったり。

えてして、「サービス業」と言われているものは、自分が考える代わりにいろいろ調べて、自分の代わりに選んでくれて、自分の代わりに何かを実施してくれている、という性質が少なからずあるでしょう。結果、そのサービスを受ける我々は、時間や手間をかけて考える代わりにお金を払って簡単にコトを済ませることができる、というものです。

便利ですよね、そういうのって。でももしかしたら今の時代って、一度、原点回帰するというか、そういう自分たちの普段の行動を振返り、考え直すきっかけなのかもしれません。今まで「到底自分ではできない」と思っていて、人にお金を払ってやってもらっていたこと、それはもしかしたら専門家に「そういう風に思わされていた」のかもしれない…と疑り深い私などは思ってしまいます。「パッケージ」の中身をよくよく見たら「なんだ、私こんなことしたかったわけじゃない」という本意に反するようなことも、知らず知らずのうちにやっている、っていうような可能性だってあるかもしれません。

お金を払って人に頼む、サービスを受ける、というのは、うがった見方をすると自分が考えることをやめてしまう、そのプロセスを自分で経験する機会を逸してしまう、ということにもなるのかなーと思うことがあります。身の回りの様々なサービスを受けず全てを自分でやるなんてとても無理だけど、こんな時だからこそ、「結果」に対価を払うのではなく、すこし時間をかけてプロセスを楽しむ、それも安く!ってのもいいかなという気がします。私の人生の中の目的は、自分で、自分の家を建てることかなぁ(笑)
# by nicecuppatea | 2009-02-03 20:07 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

都会の台所は野菜の皮むきがしづらい…

先週末にお金をかけて遠出をしたこともあり、この週末(昨日・おととい)は田舎に行かずに東京の家を片付けたり冷蔵庫の加工品の調理などに時間をかけました。

おかげで、だいぶ今週の台所仕事の下準備(お弁当のおかずとかカレーの煮込みとか)ができて、ゆとりを持って月曜日の朝を迎えることができました。

こうしてみると、やはり「ゆとり」を生み出すために行なっているはずの週末農園生活は、時間的にはかなり私の生活を余裕ないものにしているという実態が明らかに(笑)

野菜の下準備をしていて思うのですが、都会の手狭な台所は、畑から直行してきた根菜などの処理には対応不能な作りになっています(^^

昔、泥付き野菜を台所で洗うと「台所がつまるわよ!」とよく母に叱られたものです。つくづく、無機質な都会の空間は、自然との接点を住居の中にもちこむのに不便な形でできているなぁと思います。

都会の台所では泥をそのまま洗い流せるような場所も少ないし、泥付きのものを置ける土間もないし。だいたいカレーライスなんか作るのに、タマネギ3つ、ジャガイモ4つの皮をむいたら流しの片隅に置いた三角コーナーなんて、それだけで溢れかえってしまう・・・。ちまちまと小さいスペースからはみ出さないように泥の付いた皮を三角コーナーにまとめて捨てるのも面倒くさいし。

-ということで、私は台所の床の上に新聞紙を大きく広げて、泥付きのままのジャガイモやサトイモはここで下に落ちる土を気にせず、広げ放題で思う存分皮むきします。皮むきが終わったら新聞紙ごとまるめて、そのままコンポスターに。

この新聞紙上のスペースが、スーパーで買ってきた季節外れの野菜じゃないものの準備に欠かせない都会での空間です。
# by nicecuppatea | 2009-02-02 20:18 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

冷蔵庫の探索

先週も週中は相変わらずゆとりのない生活で、部屋はちらかっていき冷蔵庫は満タンのまま…。先週せっかくたくさん漁港で魚を買ってきたのにほとんど冷凍庫に眠ったままだからです。

数年前、今の冷蔵庫に買い替えた時は「部屋中冷蔵庫みたいだなー!」と思うくらい大きく見えて「いくら入れてもいっぱいにならない~♪」とずいぶん喜んだのに、今じゃ「なんだか冷蔵庫、小さいなー」なんて思ったり(--;つくづく人って勝手な生き物(あ、あたしだけか)。

2月というのは冬の終わりでもあり、家庭菜園をいじる人間としては春の始まり、新しいサイクルの始まりの頃でもあります。つまり、去年一年色々と手をかけては蓄えてきた「加工品」を使いきって新たなシーズンの作物に備えていく時期、と私はなんとなく思っています。

ということでこの時期になると決まって(大掃除のときはやらないけど)冷蔵庫の加工物を置いた棚の整理をします。

東京のウチは両隣に兼併率ぎりぎりの住宅が建っていて(ウチもだけど)、一階ということもあってとても風通しが悪く湿度が高いので、干し野菜類もすべて冷蔵庫貯蔵。夏にせっせと作った干しトマト、干しナス、干しピーマンから、その前のシーズンにつくったりんご飴(リンゴの角切りをオレンジピールを作るのと同じ方法で硬く甘くしたもの)、前年の梅酒の梅、畑で採れた杏のシロップづけ、青唐辛子のガーリックオイル漬け、などなど、冷蔵庫の奥の奥の方まで詰まっていて、さながら「探索」に近いものがあります。

今まで興味がありながら、ほとんどやったことがなかったお菓子づくり。でも、3年ものの梅酒ジャムをはじめ、ジャムだけで5種類以上あり、トーストとヨーグルトだけでは消費しきれないことが明白になってきたので(^^、意を決して初めてりんご飴のみじん切りと最近作ったリンゴの甘煮をつかってカップケーキなど作ってみました。marimo cafeさんのワクワクするようなレシピを検索しながら、とりあえず「このあたりが食材的には近いかな…?」と思うレシピのマフィン用のレシピを拝借(^^
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できあがりはなんだかよくわからない見てくれのものに(^^;でも、何とかふくらんでくれてたっぷりドライフルーツが入ったので生地の甘さは控えめでも、とりあえずだんなも手を出してくれる味のものができました(ホッ)次は年代物の梅酒と梅酒の梅、梅酒の梅で作ったジャムを使うためにフルーツケーキに挑戦だ!
# by nicecuppatea | 2009-02-01 16:37 | 野菜&実の加工 | Comments(0)

平飼い鶏の卵、買います

最近、家で使う「卵」は極力「平飼いの鶏の卵」を買うようにしています。

自分で作った野菜を食べたり、その行程を自分で確認していると、スーパーなどで買う食材についても「これ、どんな素材からできているんだろう?どんなふうに育ったんだろう?」と気になり始めて、作ったり育ったりしている「その場を見たら食べたくなくなる」ようなものは極力食べたくないなぁと自然に思うようになってきたのです。

卵を産む鶏の環境…なんて昔はあまり考えませんでした。たまたま一昨年イギリスに遊びに行った時に、テレビを見ていると、毎日といってもいいくらい「養鶏場の標準」ということをニュースで論じているのです。

曰く、「一羽に対してA4判の紙よりも狭いスペースしか許されないような密度の高い買い方は動物倫理に反する」。スーパーで販売できる卵の生産場の鶏一羽あたりに与えられているスペースの基準を改善しようという議論だったように思います。

まあ、ひとつの議論の裏にはそれぞれ主張をする人たちの単純ではない思惑もあるのかもしれませんが、そこで聞いているバタリーファーム(屋内でたくさんの鶏を飼育している、いわゆる「通常」の養鶏場の風景かと思います)の状況というのは、「言われてみれば確かにひどい話だ」と思わされるものでした。本能に反して砂あびもできず、羽ばたきもできず、餌だけを食べ続けひたすら商品として卵だけを産み続ける…。鶏とは本来庭を歩き回りながら小虫や草やその種を食べるものなのでしょうが、そんな「鶏」生を送れる鶏は今や少数派でしょう。

そんな風に気づいたあと、日本に帰ってきて「平飼いの卵」をスーパーで探してみると、これが驚くほど見つけるのが難しいのです。値段の高い高級卵には「xxを飼料に与えた卵」とか「xxな環境で育った卵」という表示はあるのですが、情報をインターネットで公開しているところをたどってみたりしても「~な環境」は平飼いかどうかではなく、養鶏場自体が自然環境の良いところにある、ということだったり(^^

平飼いは「コスト的に合わない」という話も聞いたことがあります。でも驚くのは、「平飼いの卵」という商品の見つけづらさ。「値段が高い」のではなく市場にないということは需要、すなわちそういう卵を選んで買いたい、という消費者自体がまだ少ないということかもしれません。

件のイギリスの例は、消費者の関心の高さを表したものともいえるでしょう。正確には覚えていませんが、「xx年以降、スペースをきちんと取って飼育しない鶏の卵はスーパーで売れなくなる」というような議論をしていたと記憶しています。こちらもうろ覚えですが「60%の卵がバタリーファームからのもの、40%が平飼いのもの」とニュースで言っていたような。近くのスーパーの棚をみても、平飼いの卵を見つけるのは何ら無理がありませんでした。

アニマルウェルフェア(動物福祉)という言葉は日本ではまだあまり一般的な馴染みがない気がしますが、いづれ食べられてしまう動物であっても(無論、卵を産む雌鶏であっても)、きちんと尊重された一生を送ったものなければ…という考え方は、穏やかではありますが、その後の私の食べ物のチョイスを影響しつづけています。

最終的には、田舎に居を定めた時点で鶏を飼って、畑で育てている雑穀や野菜や雑草を食べてもらい、おいしい卵を頂く…、それが夢です(^^この夢に向けて、まだ鳥を飼う計画もないのに、山梨で大きな鶏のケージまで買ってしまった(笑)…さすがに、犬、猫、鶏と田舎と東京を毎週往復するのは無理だろうなぁ、ブレーメンの音楽隊じゃあるまいし(^^
# by nicecuppatea | 2009-01-31 19:14 | Comments(2)

雑魚、売っていないかなぁ

まだ西伊豆の話の続きです。西伊豆に行くと必ず寄る回転寿司屋があります。回転寿司なんですが東京モノの我々にとって何がそんなに惹かれるかって、東京ではあまり寿司屋で聞いた事のないような魚のお寿司が安価で食べれること。高級なトロとかウニとかよりは、どちらかというと近海でとれた安い魚で新鮮なものがあったりすると、まずそれが食べてみたくなります。

そこの回転寿司屋さんのお品書きにも、ソイ、アカギ、アブラボウズ、ホテイウオなど、私が聞いた事のない名前の魚がたくさん。魚の呼び名は成長するにつれて変わったり、地方によっても違うみたいなので、中には東京で知っている魚もいたのかもしれないけれど。安価な上、量もたくさんとれないこういう魚は、大きな流通に乗ることなくこうして地元で消費されていくのでしょう。これを食べに行くのが毎回、楽しみです。

地物を食べれる寿司屋さんに行くだけでなく、いつも西伊豆に行くとどこか地元の魚屋で東京では売ってないような小魚をお皿に山盛りして安く売っていないだろうか・・・と、通り過ぎる魚屋さんやスーパーを丹念に見ています。不思議なのは魚屋が少ないこと。「あたりまえだよ、みんな自分の家で漁業権もっているもの」と宿のオーナーに言われてなるほどと思いましたが(^^;

とにかくお店で見つかるのは「お土産」と称した干物などの加工品がほとんど。、私が探しているような、日持ちがせず高級感のあまりない安価な生の小魚はおそらく地元でも市場にでる前に、あちこちで譲渡されたり廃棄されたりしてなくなってしまっているのでしょう。

有名なフランス料理の「ブイヤベース」は、まさにそんな小魚からとれるエキスを取りきってつくったおいしいスープ。きっと毎日の漁の結果たくさんとれる小魚を使い切る知恵として発展したのではないかなーと思いを馳せます。日本の漁村もきっと状況は似たり寄ったりなのではないかな。

でも小魚を使い切るような料理が小さな漁村で名物として大々的に宣伝されていたり、ここにしかないお土産として売られている…なんて光景は見かけたことがありません。「そりゃあ、君の思うようなことばかりは見つからないよ」とダンナは笑いますが。金目鯛の干物も高級鰹節も魅力的だけど、生活に根付いた「その場所の知恵」みたいなおいしく安い素材に出会いたい、と感じてしまうのはよそ者の勝手な思惑でしょうか。

それでも思ってしまう、そういうのをもっとウリにしたらいいのになぁ、と。帰りがけに寄ったひなびた漁村の裏道で隠れるように存在していたスーパーで、ようやく見つけたたくさんの小魚を安く買って当初の目的を達した私は再び「こういうの、欲しい人は私以外にもいるんじゃないかなぁ」と。

もうそろそろ、遠くの海でとれる大きな魚を高価な値段で買って食べるだけじゃなく、島国の日本には色々な雑魚もおいしく頂く料理がある、ってなトレンドになってくると私が興味を持つような小魚も入手しやすくなるかもしれません。
# by nicecuppatea | 2009-01-27 19:49 | もったいない | Comments(0)

ワイルド・シルク

昨日「拾ってきた」私のお宝たち。その中でもひときわ私がわくわくしたのはこれ。
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真ん中に見えるヤママユガの繭の抜け殻です。実はこれは私が見つけたのではなくカサカサと枯葉を踏みながら歩いていたときだんなが「何だ、これ?」と見つけたのです。わたしはすぐさま「わぁ~、ヤママユガのさなぎだ!」と拾い上げました。ダンナは、まさかこんなものを持って帰るのか!「えぇ~??勘弁してくれよー!」と驚き迷惑顔。

しかし、これは私には感動的発見です。ヤママユガは野蚕(やさん)、または天蚕(てんさん)ともよばれる野生の蚕。私の拾ったのは薄黄緑の色をした繭の抜け殻でしたが、この糸はしなやかで強く、その野生の繭は貴重なため「緑のダイヤ」とも言われているのだとか。日本では細々と飼育することによって野蚕の糸をとっているところもあるそうですが、野生の繭を野山からとってくることは行われていないのだとか。あたりまえですね、産業にするにはさすがに非効率すぎるでしょう(笑)ならばみつけた野生の繭はなおさら大事♪

昨年末、東京で行われた「エコプロダクツ展」を見に行った時、なんだか夢のような話をみつけました。(大方の人にとってはちょっとキモイ系の話かもしれないけれど)。インドネシアでは特産のフルーツの木でこの野蚕を育てる試みが行なわれているそうです(つまり農薬を使わず、果物の木の葉にガの幼虫が付きっぱなしにしておくってこと)。そうすると、「このままだと葉っぱが減って枯れてしまう、大変だ」と思った木は子孫繁栄のため一生懸命普通よりたくさん実をつけるので果物の収量は多くなり、そしてその野蚕は金色に輝くそれはそれは美しい繭をつくるので、それを「ワイルドシルク」として絹糸を紡ぎ、大変貴重な織物をつくっているというのです。

さらに素敵なのは日本の養蚕は普通蛹が羽化する前に繭を茹でて糸をとってしまいますが、ここでは蛹が羽化した「繭のカラ」からだけ絹糸をとっている、つまり何も犠牲にせず糸も果物もとっているというのです。ガは羽化すると交尾産卵し、次の世代に同じ営みを残します。昔はインドネシアでも「害虫」と見られていたガから今では貴重な絹糸をとるようになり人々がその昆虫に向ける目も、農業に対する考え方にも変化がでたのだとか。

ひるがえって私の生活の周辺を思い起こすと、週末を過ごす田舎の家の周りには私が子供の頃、地表数十センチの木の幹のところから箒を逆さにしたように萌芽をたくさん伸ばした木が植えてある畑がたくさんありました。それが、養蚕のための桑畑でした。

今でも古い作りの家を見ると日本家屋版「ロフト」に見えるような、二階の窓の上にさらにもうひとつ小型の屋根と低い窓がしつらえられているお屋敷がまだあります。これが「お蚕さん」を飼っていた家のつくりなのだとか。ただ、いつのころからかそのあたりから桑畑はまったく姿を消し、「すり鉢型の甲府盆地では空気が滞留しがちで農薬を散布する農家が多くなってきたからか蚕が育たない」という話すら聞いたことがあります。本当かどうか知りませんが、桑畑がひとつ残らず消えてしまったということは、養蚕をしている家がなくなったことは事実でしょう。

日本で「ガを飼育しながら絹糸をとりつつおいしい果物も育てる」なんてアイデアがあったら、ちょっと現実離れして聞こえるけど、夢があるなぁ(異論を唱えられる方は多いと思いますが、私はそう思います(^^)。薄グリーンのきれいな繭を手のひらの上で転がしながら、あるものとあるものがうまくつながったら、どこかにひずみを出すことなく今あるものが活用されるんじゃないかなぁ-…と、再び漠然と考えちゃいました。。。。
# by nicecuppatea | 2009-01-26 20:07 | 昆虫&鳥 | Comments(0)

海辺の裏山にて

なぜだかどうしてもおいしい地魚が食べたくなり、この寒いのに毎年お邪魔する西伊豆のペンションにピーチともどもお世話になりに行きました。

西伊豆は、東伊豆と比べると東京から行くのに電車でのアクセスは不便で、「大きな砂浜」が広がっているわけでもなく、トレンディな雰囲気というよりひなびた雰囲気。そんなこともあって東の浜より人は少なく、犬と遊べる環境も多い気がします。誰もいないこの時期の浜は私たちでひとりじめ。
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おまけに漁港があって温泉があって、夏にはシュノーケリングでもできる岩場もあって…私たちにはうってつけ。もう15年も通っているところです。

お邪魔するペンションの裏はすぐに山。二人で並べば道幅いっぱいになるくらいのトレールが雑木林の斜面に何キロも続いています。なぜそこが好きかと言えば、ふかふかの落ち葉の急斜面を笑いながら走り回るピーチの姿を見るといつまでもそこで遊ばせてやりたくなるというのが一つめの理由で、もうひとつはそこが私の好きなものの宝庫だから(笑)で、これが今日の戦利品(^^
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雑木林の中でみつけたリスやネズミの食べた胡桃の殻、ヤママユガ(かな?)の脱皮した後に残った繭、長くてしなやかなアケビのツル、ユニークな形と質感を残したまま乾きあがった山の木の実のドライフラワーなど。また雑木林とその落ち葉に覆われた地面をよく見ればそこにはかすかに石を積んだだんだん畑の面影が。そこここに誰にも振り向かれることのなくなった柑橘類の木が実をつけています。フツーの人には「これはゴミでしょう」と言われるかもしれませんが、私にはお宝級(笑)

静岡県と言えば以前にも小田原の放置ミカン農園を訪ねたことがありましたが、よく見れば西伊豆の私たちが歩いたあたりも、雑木林に見える斜面はほとんど昔はミカンを育てていたところの様です。

山梨の畑のあたりには庭という庭にほぼ必ず柿の木や桃の木が植えてあるのと同じよう、この辺はどこの家のお庭にも金柑、温州みかん、夏ミカンなどの木が植えてあるよう。遠くから見ても明るい黄色の実が常緑で丸っぽいシルエットのミカンの木にちりばめられたように実っています。八百屋ではミカンはどこも山のような量で安く売っているし、きっと山梨の柿と同じように、たわわに実りながらまるで見向きもされないまま落ちていくみかんも多いんじゃないかな。

もったいないものが多いなあ。山の半分がおおわれている竹だって、もっと「タケノコ」とればいいのになぁ。無農薬のミカンならマーマレードやオレンジピールだけでなくってジュースだってお菓子だって使い道はたくさんあるだろうに…「ものがある」だけでモノは使えない。「それ」を木から取ること、加工すること、運ぶことを積み上げていくと消費することが現実的でなくなってしまうんでしょうか。「食料がない」わけではない、あるものが回らない、ということなら何か人が知恵を出せばもっと使えるような気もするのに…。なんて考えながら落ちてた実を拾ってきちゃった。

今日の夜はアケビのツルでも編みつつ、夕飯は地元の店で売っていた小魚の煮付けにしよう。こういうのも東京とかに出すには市場価値がないんだって。ウチの食卓はマグロのトロとかじゃなくていい、ウマヅラハギの煮付けが食卓に乗ればそれ以上望むものはありません。チビ太のお土産の小アジも買ったし(笑)身近にたくさんある、おいしいもので豊かさをかみしめる休日です。
# by nicecuppatea | 2009-01-25 17:11 | 里と野山 | Comments(0)

無農薬栽培の功罪?!

年末以来、なんとか潤沢にある大根と白菜を使って体にもお財布にもよい食生活を送ろう!と考え、できるだけ聖護院大根と白菜をコトコト鍋で煮て、夕食は「ひとり鍋」をつくろうと試みています。味付けは少々の塩とごま油、コクを出すためにトリの骨付きぶつ切りをふた切れくらい。それに自家製ゆず七味。ポイントは野菜がクタクタになるまでひたすら煮続けること。これを形が崩れるくらいまで煮ると、白菜と聖護院大根の滋味豊かな甘さが舌にしみる一品に。

簡単でおいしそうに感じますが、実はこれには家庭菜園の野菜ならではのひと手間がかかります・・・。秋口、成長の遅れていたウチの畑の白菜が少しでも寒気の中で長い間成長できるようにと不織布をかけて保温をしていたところ、ひと株にアブラムシが大発生してしまったのです。たぶん普通に寒気にさらしておけばそうはならなかったのではと思いますが、それもこれも人工的に暖かさを維持しようとしたことへの代償ではないかと・・・(--;

かなりの外葉は焚き火で燃してしまいましたが、それでも食べる部分の葉っぱの小さいくぼみにアブラムシがまだ潜んでいたりして・・・。とてもそのまま鍋に入れる気にはなりませんが、せっかく結球した数少ない白菜。捨てるのはあまりにもったいなくてー・・・。

で、解決策→鍋に入れる前に別の鍋で葉っぱを下ゆでします。すると洗い落としきれなかった虫なんかもすべてきれいにとれるので、それをさっと水洗いして改めて食べる鍋に投入。ダンナが鍋にアブラムシが入ってるのなんか見つけちゃったりしたら、今後決して「自家製野菜」などに手をつけてくれなくなるでしょうから(笑)虫などついていない野菜で料理ができあがるようにすることには細心の注意を払います(^^

白菜のアブラムシだけではありません。畑から野菜を取ってくれば、そりゃあ虫だってついてくるというもの。それが有機栽培の、自家菜園のもうひとつの側面です!夏には切ったオレガノの花束を東京に持って帰ってこようと車の助手席の下においたままドライブしていたら、車のエアコンのつまみの上に小さいイモ○シが…。あまりにそぐわない場所にそぐわないものを見つけダンナも「勘弁してくれよぉ」と苦笑い。台所で洗い物をしていたらガラスのコップの中にカタツムリの赤ちゃんがいたこともありました。。。皆、意思にかかわらず私に都会に連れてこられてしまったモノたち・・・。そういうヒトタチは丁寧につまんで東京の小さい庭に放します。

有機とか家庭菜園とかっておしゃればかりではなくて人間以外の生き物も許容することにもなります。そこのところを隠したままだとやっぱり、都合のいいものになっちゃうような。でもやっぱり家のなかの予期せぬ場所でそのヒトタチを発見すると私でもちょっとぎょっとするかな。
# by nicecuppatea | 2009-01-23 21:57 | 野菜&実の加工 | Comments(0)