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カテゴリ:都会の自然( 5 )

アーバン・アニマルその2

随分前に真夜中の勝沼インター付近でキツネが街中をうろついているのを見た、と書きました。アーバン・アニマル、とはいえないでしょうが、初めて街中をうろついている野生動物の姿に興奮したものです。

昨日の夜8時過ぎ、自宅近くの、結構高い木や茂みのある公園の中にある、運動場のような広場の真ん中をネコより背が低く、足が短く、尻尾はずっと長い動物が横切るのを見ました。

顔は小さく、こちらの気配に気づいて振り向いた一瞬、肉食っぽくて比較的大きな二つの目(どういう目だ?)が暗闇で光っているのが見えました。

とっても興味があったので小走りにそっと追っていくと、その動物も急いで逃げる様子はなく、もう少しはっきり姿を見ることができました。やはりネコではない。タヌキみたいな色で尻尾はふさふさ。かなり地面に近いところに胴体がある感じがします。軽やかに塀の上を歩きながら民家の間へ消えていこうとする一瞬、こちらを振り向いた時に、はっきり眉間に真っ白い縦のラインが見えました。

ハクビシン!

と、専門知識がとりたててない私の頭にも浮かんだ名前です。まさか。でも。

自宅へ戻って早速検索してみました。間違いありません、こいつだ。

何でもものすごく繁殖力が強くて、飼っていたのが逃げて一部野生化した例が都内にもあるのだとか。「愛くるしい顔に似合わない強い攻撃性を持つ」とかで専門の駆除会社もあるらしい。害獣としてどれだけ危険で、迷惑な動物か、ということが非常に細かくあいてあるサイトなども発見。屋根裏に住み着いたりして、強烈なにおいの排泄物を残していくのだとか。そうなのか。あの落ち着き払った雰囲気は「逃げたばかり」とは思えない。そういえば、だんなか数ヶ月前、夜中にピーチの散歩をしていた時、「塀の上をネコより小さくて尻尾の長い動物が歩いていた」といっていたのを、その時になって思い出しました。

「えぇ?夜だからネコを見間違えただけじゃないのぉ?こんな都心にそんな動物がいるわけないじゃん。」と、全く取り合わなかった私。ホントだったんだ、疑ってごめんね(笑)

本来の生態系を追われた野生動物は、「野生動物を都会で見た!」と喜んでいる私のようなおめでたい人間をケケケと笑いながら、大都会の片隅でしたたかに生活基盤を築いているのかも。
by nicecuppatea | 2009-09-16 19:48 | 都会の自然 | Comments(0)

街道沿いの大きな木

久し振りに、仕事の関係で埼玉県新座方面に行く機会がありました。

仕事の関係で数年前は新座駅から川越街道(旧?)のまわりをてくてく歩くこともあって、その度に農家の庭に残された見事なケヤキの木が多いのに、惚れぼれしていました。旧街道沿いだからでしょうか。今ではなかなか「庭」で見られるサイズではない大きな木の数々。普通の町並みに突然、「この住宅街の年数より絶対古いでしょ」とすぐに思えるようなシンとした、大木の林立した一角が現れます。

大きな木のまわりって、なんだか空気というか時間の流れが違うような気がします。これだけ大きな木が高々と、広々とのばした枝の下に建っている住宅。「自然」と「人間」の本当の力関係を表しているように見えます。
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イギリスで見たイングリッシュ・オークという寿命が900年とも言われている木のシルエットがとても美しかったということを前に書きました。でもこうしてみてみると、ケヤキの美しさというのはイングリッシュ・オークにはない美しさ。シュッと伸びたシルエットがあたかも着物を着てスッと立った人のようにも思われます。だとするとさながらイングリッシュ・オークはペチコートでドレスを膨らませた西洋の女性か。
by nicecuppatea | 2009-05-20 07:42 | 都会の自然 | Comments(2)

大きな木について思うこと

最近、すぐお向かいの家の、取り壊しが決まったらしいのです。先日お宅からたくさんの荷物が外へ出されていると思ったら、昨日は大きなお庭の周りにあったたくさんの木が伐採されていました。。。

家屋もそうなんだけど、私としてはそれよりもしかして長いことそこにいたかもしれない「大きな木」が当然のこととして伐採されることに、なんともいえない息苦しさを感じます。家がなくなったら、当然のようにそこにあった木も一緒になくならないといけないんですかね。

前にも書いたかもしれませんが、もともとそんなに大きな木が素敵だとか、木を切るべきでない、なんて思うタチの人間ではなかったのですが、どこに行っても大きな木がたくさん残っているイギリスでの生活を経て、大きな木がそばにあるって、何だかずいぶん居心地のよくなるものなんだなぁ、と感じるようになったのです。

イギリスのカントリーサイドの象徴的な木としてよくシンボルマークなどにも使われるイングリッシュ・オーク、日本名ではヨーロッパナラと呼ばれる木があります。以前友人宅にある巨大な木の写真をアップしたことがありましたっけ。

このイングリッシュ・オークは成長するのに300年、成熟するのにさらに300年、それから優雅に老いていくのにさらに300年かかって寿命を迎えるのだそうです。これは極端な例かも知れないけれど、一般的に言って木の一生ってのは、人間のそれより随分ながーーいスパンであることが多いみたいです。

そう考えると、木の寿命を、敢えて人間の寿命または人間の建物の都合に併せるのは、何だかずいぶん身勝手なことに思えてきます。そんなことはさて置いても、先ほど書いたみたいに都会の中で大きな木が残っている、というだけで随分人はいい気分になると思うんだけど。

これを実感させてくれる場所が結構家の傍にありました。ここは文京グリーンコートといわれるスーパーや飲食店と住居棟の集まった場所ですが、もともと理化学研究所の発祥の地。科研製薬の本社のある敷地でした。私の子供の頃は、重々しい門の後ろ、大きな木々の生えた前庭の奥に建っている重々しい建物が、子供なんか寄せ付けない雰囲気を醸し出していたものです。

時代は流れてその敷地が売却され、数年前、再開発されました。その際、以前前庭にたくさん立っていた大きな木がほぼ全部そのまま保存されたのです。

e0151091_19344840.jpg 太く、背の高いイチョウなどの木々がたくさん残されて、さながら大通りに面した林のよう。その下の地面にはセンスよく木製のブロードウォークが設置され、間を日陰にも強い観葉植物が埋めています。クリスマスの時期にはこの林の下にイルミネーションのトナカイなども出現。それまで子供を寄せ付けなかった研究所の前庭は、子供や犬や家族連れでにぎわう居心地のいい空間に生まれ変わりました。これは惜しくも「景観創造賞」を逃した再開発プロジェクトの結果なのだとか。

大きな木がたくさんあると、そこに人が集いたくなる…のは間違いないんじゃないかなぁ。こんな再開発が他にもどんどんでてきたら東京はどれほど住みやすい街になるかなー。
by nicecuppatea | 2009-05-06 19:37 | 都会の自然 | Comments(0)

都会にさりげなく生えている食物

食べられるモノが都会にフツーに「生えている」といっても、ずーっと都会住まいのヒトにはあまりピンとこないかもしれませんが、住宅地を散歩をしながら目を凝らしていると都市の中にも色々と、食べれる物が生えていたりするものです。

これは、家のそばの散歩道でみつけた近所のお宅の「さくらんぼ」。さくらんぼは「桜」の種類のうち、実を食用にできる種類ですが、たいていは「ちょうど食べごろ!」という前夜、鳥たちにすべて食べつくされる、という運命に。山梨の畑のまわりでも、さくらんぼの木は収穫時期が間近になると厳重に網が張りめぐらされて、鳥から守られているのを見かけます。

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自宅のそばのスーパー裏手の道を曲がったら、古い住宅の勝手口のそばから、大きく枝を伸ばした桜の木が目に入りました。よく見るとその木の上にはさくらんぼがたわわに実をつけているではないですか。当然、木の上は多くの小鳥たちで賑わっていました。この分だとあっというまにさくらんぼは食べつくされるだろうけど、これが都会の中だと考えれば、それはそれでちょっと嬉しいこと。

こちらもうちのそばのお宅の玄関に生えている竹の根本。奥さ~ん!タケノコが伸びてますよ~!早く獲って下さ-い!…と声をかけたくなります。私だけでしょうか…。
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こちらは某池袋の再開発地区を歩いていた時、ふと目線を落とした時見つけたもの。皐月の植え込みの下からジャガイモの芽が!!
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ここはごく最近再開発が終了した地区。道沿いの植え込みに使う、田舎から持ってきた畑土の中にジャガイモが交じっていたのかなぁ。

生えている場所や状況的に、これらのモノが食物として認識されて人の口に入ることはおそらくないでしょう。多くの人にとって、スーパーの棚で売っているものこそが「正式な食べ物」となっているのではないでしょうか。かたや、そこらの植え込みに生えている食用になる植物を見ても、「これって食べ物?」と思うかも。

都会に住む人が、本来あるべき姿の食物の育つ姿を認識して、食べることができるようになったら、もしかしたら普段の生活がちょっと変わるような気も…。
by nicecuppatea | 2009-05-03 16:55 | 都会の自然 | Comments(0)

都会でたくましく生きている花ばな

巷は黄金週間。今週末は敢えて人の行動の逆で東京に留まることに。ちょっと暑いけど普段あまり見ることのない近所の住宅街や、公園をつぶさに見ながら日中に歩くべく、ピーチにはちょっと暑いけど午後、長めの散歩にでることにしました。

考えてみたら東京の住宅地や公園を、日がさんさんと当たる時間に眺めたりすることも普段はありませんから、改めて見つめてみると結構な発見もあります。

こちらは歩道の縁石の隙間から生えていたカモミール。いったいどうやってこんな栄養を吸い上げるんだか。
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家のそばのマンホールと道路の間のわずかな土の隙間に育っていたケシの花。
がんばってます。
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イギリスにはもっと赤が濃いケシの花が草地いっぱいに生えて花を咲かせていたのを覚えています。イギリスで、赤いポピーは人の血を吸った大地、つまりかつて戦場だったところに生えると信じられていると聞いたことがあります。日本でいえばさながら彼岸花、といったところでしょうか。だから第二次世界大戦が終わった(イギリス的に)11月11日の「リメンバランスデイ」とよばれる戦没者追悼の日には、みんな胸に赤いポピーのブローチをつけて戦没者を悼むのか慣例になっていました。(この赤いケシのブローチは、日本でテレビのアナウンサーがその時期になると赤い羽根を背広につけているように、みんながつけているものでした、これはちょっと余談ですが。)

日本、というか私の近所では昔からこんなに咲いていたっけかなぁ?何だかここ5-6年でずいぶん見かける頻度が高くなってきているような気がします。これって帰化植物…?でもとにかく、このたくましさ、ぎりぎりの住環境で何とか育ち、てっぺんに花をつけるたくましさと可憐さ、やはり目がいきます。

田舎で季節のしるしを見つけるのは「しかるべきこと」と言うカンジでとっても嬉しいこと。で、都会の、ともすると季節感なんて感じられない…と思える場所で見つける季節のサインや生き物のたくましさは、見つけると田舎のそれとは違ったうれしさも感じます。この黄金週間は、そんな都会の季節の営みを見つけることに専念してみようかなと思います。
by nicecuppatea | 2009-05-02 19:06 | 都会の自然 | Comments(0)