カテゴリ:イギリスでのこと(言葉・友人)( 5 )

今年も来ました

今年もイギリスからのクリスマスカードに同封されていた友人たちの一年の出来事を記した長い手紙がいくつか届きました。

round-robin letterと言われる、一年の出来事をまとめて友人に伝える手紙をクリスマスカードに添えて送る慣習は「単なる送り主のエゴ」なーんて揶揄されることもあるようですが、私は友人たちの「個人的大事件」みたいなのを読むのが大好きで。自分も送るし、友人から受け取るのも楽しみにしています。

こうして届いたレターを読んでみると、イギリス人がみんなそうなのか、はたまた偶然にも私がそんなヒトタチばかりを友人に選んだのか、とにかくみんながそれぞれのレベルで夢中になる他の人から見ると一風変わったものをもってて、そのことを嬉しそうに、詳細に報告してくれます。
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ロンドン・オリンピック・パラリンピック以来、国際スポーツゲームでのボランティアに生活を捧げているヒト、ミズハタネズミというビーバーのミニチュア版みたいな水辺のネズミの地元での保護活動にのめり込むヒト、ジプシーの馬車を再生(これについては、今度改めてじっくり書きます^^)してそこを自分の自宅としているヒト、など。彼らの活動に比較すると、私の「通勤カゴ編み」なんて、珍しくもなんともないです(^^;

毎年の報告の中には、そんな趣味や仕事の追及の中で、時折経験する「老いの実感」や「悲しい別れ」に関する記述もあったりします。けれども、彼らはそんな自分の一大事もどこか客観的に、ちょっとブラックなユーモアも持って、眺めているように見えます。それはヒトとして成熟しているからなんでしょうか、それとも国民性なのでしょうか。

良いことばっかりの人生を送るヒトなんていないでしょう。でも彼女・彼らのような「人生の進み方」ができることが、人生にとって最強なんだろうな…と思えてきて、来年の初詣でお賽銭を投げてお願いごとする時も、「悪いことが出来るだけ起こりませんように」というよりは「悪いことが起きてもそれをユーモアをもって捉えることができますように」…と、お願いの仕方もちょっと変わるような。

でもやっぱり、悪い事は少ないに越したことないですね~(笑)





by nicecuppatea | 2014-12-22 20:09 | イギリスでのこと(言葉・友人) | Comments(0)

ya wanna cuppa?

私のサイトのアドレスやハンドルネームをみた友人たちの中で、イギリスつながりのヒトタチからは、まぁ随分イギリス的な、と笑われます。ただ、スペースなしでアドレスになってると、このハンドルネームってなんかの呪文じゃないか、って思われるヒトもいらっしゃるでしょう^^;

英語でばらして書くと nice cuppa teaで、ナ~イスカッパティ~みたいに聞こえます。cuppa(カッパ)は、cup ofの略だったり、それだけでcup of teaを意味したりします。つまりnice cup of tea=おいしいお茶一杯、ってなとこです。

ただcup of teaじゃなくcuppaというのは、ちょっと別の意味合いがあるような気が。これは文法的に正しい言い方、ではなく日常会話での人の発音を、スペルに戻して書き表したもの。普通、人にya wanna cuppa?(ヤワナカッパ?みたいに聞こえます。教科書風に書けばDo you want a cup ot tea? -お茶、飲む?)みたいに、人に対して使います。何か一区切りついたりして「ほっ」とした時、または人にちょっとほっこりしてほしいときにかける言葉みたいなもの、と私は理解しています。

アメリカだったらコーヒーかも。イギリスでは断然Tea(ティー)。つまり、日本でいう紅茶。で、100%近い確率でミルクが入ってます。一日の中で何かの区切りには必ず口にしているカンジでした。

イギリスにいる間、私はいくつかの環境チャリティで野山での作業をしていました。それでふと振り返ってみました。デジカメ前、ブログ前の時代で、それなりの写真しかないのですが。。。

苗木屋で仕事をしている机の上にもミルクティ。(ちなみに、ほとんど主役然の猫はチョータ。チョータの入っているカゴは庭のリンデンの枝で私が編んだもの。計ったわけでもないのに、「カゴ猫」にぴったり♡)
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自然保護区で枝切のボランティアをしているときの休憩時間も、ジャーの中はいつもTea。
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友人と小旅行へ行った先でも・・・(これはちょっと正当派の、スコーン付き。いわゆる「クリームティ。」)
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飲んでいるのはいつもミルクティ。ほっとして、他愛ない事しゃべりながら、体と心を休める時間だった気がします。急いで働いて疲れたり、うまくいかなくてイライラしたり、重労働のあとでホッとしたり、長旅を終えて家に帰ってきたり。そこで体もですが、心のリラックスを人に勧める時の言葉こそが、彼らの言う「cuppa?」だったような気がします。

まぁ、これは日常生活から得た私の感覚で、辞書にはそんな説明はないんですけどね~^^それにしても、私がお茶のんでたのは、いつも野外だった、ってことに今さらながら気づきました。
by nicecuppatea | 2014-03-01 19:40 | イギリスでのこと(言葉・友人) | Comments(4)

エイミーの絵本

少し前のことになりますが、年末、イギリスの友人たちからのクリスマスカードが届きだした頃、ひときわ分厚い封筒が届きました。

差出人は、友人のエイミー。「新しい本を出したから、送ります。来年は、泊りにおいで」とありました。彼女はレンジャーである旦那さんとともに、自分の住んでいる自然保護地区の湿地帯をあるきながら、時には舟に乗りながら、その風景を、写真を撮るように、水彩画で描きとり、それを使って地元の自然を紹介している人。

そもそも私の「友人の友人」のフィアンセだった人。当時の彼氏(現在の旦那さん)は、なかなかのイケメンでしっかり遊んでいて、婚約当初は「ようやっとエイミーが彼を落ち着かせたか!」と友人ウチでも話題になるほどでした。

時は流れ、今では彼らも二人の子供のお父さん、お母さんに。

確かに「落ち着いた」のかもしれません。ただ、日本で生まれ育った私からみると、どんな日常の小さなことであっても人生を積極的に楽しもう、という彼らのアプローチは、私が子供の頃に見ていた「日本人の大人たち」とはずいぶん印象が違っています。

子供を差し置いてわがまま勝手をしているわけではないのだけど、子供と遊んでも、子供以上に小さなできごとを自分で心から楽しんでいる印象があります。それがたとえどんな「ナイトメア(悪夢)」であっても^^

たとえば、ピクニック用にたくさんのお弁当を準備して海辺に家族ででかけたところ、嵐にあってお弁当もなにも台無しに。。。それでも「も~、こんなにぐちょぐちょになちゃって(爆笑)」、旦那さんが大枚をはたいて、とんでもなアンティーク(つまりボロボロ)の「趣味の悪い」コートを買ってくると「あんな面白いものを買ってくるなんて、ほんと一緒にいて飽きないわ」

大げさかもしれませんが、これって、「人生の楽しみ方を知っている」ってことなんじゃないかと。

お金をかけるわけでもない。それほど派手なレジャーをするわけでもない。でも、日常の小さい出来事に対して「楽しかったか、そうでないか」ではなくて「どうやって楽しもう?」という積極的なかかわり方が見えます。

彼らだけでなく、イギリス人の友人たちを見ていると、「小さなことを楽しむ」ことにとても長けているなぁと感じます。

自然観察にでかけても、日本のように南北に広がった国土でもなく、緯度も高いので、イギリス全土でみられる植物も、爬虫類も、昆虫も、驚くほど地味~な柄の、控えめなサイズのものばかりで、それほど種類が多いわけでもありません。

それでも、彼らは小さな花の、虫眼鏡でみるような小さな花弁が「可憐で美しい!と心底感嘆したり、シジミチョウの羽根の微妙な色合いを愛でたりするのです。最初は、「そんなに感じ入るものかねぇ・・・」と正直、冷めた見方をしていた私ですが、そのうち「これって私の感性の方が彼らより硬直している、ってことかも」と、逆に気づかされました。

ワイルドすぎない、淡々としたものの中から、自分で「楽しむ種」を見つけているんですね。

東京のど真ん中で生活していると、もっとおいしいもの、もっと刺激のあるもの、もっと「すごいもの」、と自分をもっと刺激してくれるもの、をコンスタントに探していたところがあるような。でもそれって、けっこう受け身なアプローチだったのかな、と、イギリスで淡々とした生活を送る中で思うようになりました。

もう何年もご無沙汰しているイギリスのカントリーサイド。エイミーの水彩画を通して改めて見てみると、実は今まで思っても見なかったほど、ダイナミックにも見えきたりもして。
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by nicecuppatea | 2013-01-07 22:49 | イギリスでのこと(言葉・友人) | Comments(0)

あれから8年

今から8年前、イギリス滞在中に、友人と一緒にケンブリッジ近郊を訪ねる機会がありました。
イギリスに住んでいたにもかかわらずほとんどハンプシャー州から出ず、歴史的な街や観光地にほとんど足を延ばしたことがなかった私に、由緒ある大学の街をみせてあげる、という友人の心遣いによるものでしたが、その人の80歳になるおばあさんが住んでいるから、そこを訪ねよう、というのがもう一つの目的でした。

80歳になるそのおばあさんは往年のおばあちゃん女優、ジェシカ・タンディのようなたたずまい。心臓が悪くて数週間前に退院したばかりだという話を聞いていましたが、会ってみて一目で「弱々しいのでは?」というイメージは吹き飛び、その強い眼の光に引き込まれました。

娘たちからの同居の誘いも断って一人で住んでいるというおばあさん。その築400年というコテージは「これ一本の木?」と思えるほど太い、黒光りした角材の梁が縦横に張り巡らされた、白い漆喰の建物でした。昔の建物はさまざまな規則で維持保全されていて、住民といえど簡単に壊したり改修したりできないのがイギリス。「なぜそこまでして」と思う程、オリジナルの素材にこだわってあくまで古いモノは当時の素材だけで修理して残していこうというのが彼らの考え方。おばあさんの家はまさにそれを外国人の私でも一目瞭然で理解できるような、まるでタイムスリップしたような空間でした。

家の中へ入るとそこは、決して足腰の弱った人に暮らしやすいとは思えない、昔風の、階段がたくさんある天井の低い家でした。リビングには棺桶ほどもありそうな大きな古時計がソファの向こう側にあり、台所には見たこともないような重い蓋が鉄板の上についたオーブンストーブとクッカーが。ひと目で年代物とわかるけど焦げ一つついていないその様子に、どれほど丁寧に生活しているのかがわかります。

庭には高床式の納屋があり、木の階段を上って屋根の低い納屋にはいってみると木箱の中に庭でとれたリンゴがたくさん入っていました。「こうしておけばよく持つから」と友人は説明してくれました。げんこつ大の赤くざらざらしたリンゴはパイの中身やローストポークのソースなど、冬の料理に色々活躍するのでしょう。

せっかく寄らせていただいたので、私たちがランチでも作りましょう、とキッチンをお借りしてサラダをつくるのに常備菜の玉ねぎを一つ頂いて塩もみにしてサラダに加えました。玉ねぎの塩もみは珍しかったらしく、「あら、この玉ねぎ辛くなくておいしわ。どうやって作ったの?」とおばあさん。

簡単ですよ、薄切りにした玉ねぎに塩を少々振りかけて、ちょっと揉んで水が出てきてしんなりしたらできあがりですよ。というとおばあさんは「あなたのおかげでひとつ新しいことを知ったわ。ありがとう」なんの玉ねぎの塩もみくらい。私はむしろもっと貴重なおばあさんの手作りマヨネーズのレシピを頂いて帰りました(^^。

80歳を超えて健康状態も万全ではない中、ずっと昔から続く「日常」を、気品をもって粛々と続けながら、たまに訪れた私のような若造にも「知らないことを教えてくれてありがとう」とさらりと言う。私もこんなおばあさんになりたい…。

先週末でイギリスから帰ってきてちょうど8年。おばあさんも一昨年亡くなりました。自分の考え方に大きな影響を及ぼして強烈な印象を残したイギリス滞在の日々は、今の会社での現実の生活の中にだんだん埋もれて遠のいていく気がします。でも、そこで感じたことだけは薄れさせずにずっと持っていたいと、日本でいえば9月の秋祭りの時期が巡ってくるこの時期になると、思い返したりします。
by nicecuppatea | 2009-09-21 12:52 | イギリスでのこと(言葉・友人) | Comments(4)

クリスティンのこと

7月14日は、毎年ある人に思いを馳せる日。ちょっと重たい話になりますが。

2004年の7月、私はイギリス・ハンプシャー州にあるセントキャサリンズ・ヒルという典型的なイングランド南部の小高い丘が向こうに見渡せる、明るい森の中にある「サステナビリティ・センター」というところにいました。前年7月14日に亡くなった友人のクリスティンがそこに眠っていたからです。

うん、たぶんこの辺だ…といって彼女のパートナーで、私にイギリスでの環境保全活動の「いろは」を教えてくれた自然保護地区のシニア・レンジャーをしているピーターに案内された森の中には、墓石ひとつありませんが、そこにクリスが眠っているはず。

子宮がんの再発が発覚した後、女性でなくなることを拒みあくまで自然体でいること、自然の流れの一部でいることを選んだ彼女は、2003年に40歳の若さで亡くなりました。

仕事の関係で日本を離れることができず葬儀に参列できなかった私は、どうしても一周忌にはピーターに会い、彼女の眠る場所を訪れたいと思っていたのです。

「その場所」には若いリンゴの木が一本生えているだけ。墓石も記念碑もなく、ただ全てがあるがままの自然の姿に返っていく…という埋葬地でした。「墓地」という雰囲気ではなく、鳥の声に満ちたなんとも居心地がよく穏やかな、木漏れ日の優しい森の中でした。

ピーターによると、最期を悟ったクリスは、ピーターとそれまでの人生をお互い豊かにしてこられたことを感謝しあうと、自分の最期をどうしてほしいか詳細に伝えたのだとか。

自分の埋葬のプロセスで化石燃料を使ってほしくないこと、全てが自然に戻る形にしてほしいこと、亡骸はウィローのバスケットに納めて、太陽の方向へ顔を向けて埋葬してほしいこと、そして「その日」に集まる人たちには、自分の持っている洋服の中で一番晴れやかな色の服をきて参列してほしいこと。

ピーターは彼女の最期の願いを、その言葉通りに実現しました。

「どれだけの人に支えられたことか。レンジャーの仲間たちは朝、朝食を作っては「食べて」と自宅まで運んできてくれた。セレモニーの前日には、自然保護地区の保全作業に使っているスコップを持って、5人のレンジャー仲間が集まり、重機をいっさい使わずに石灰層の硬い地面に何時間もかけて数メートルの深さの埋葬用の穴を人力で掘ってくれた。自分は人に支えられて生きている」と、帰り道に見晴らしの良い丘の上のベンチに腰をおろし、向かい側の丘を見ながらピーターは話してくれました。

当日は、埋葬地までの森の小径がラベンダーの花で敷き詰められ、小さなキャンドルと風鈴が脇を飾りました。亡骸をおさめたウィローのオーバル・バスケットは、人力で押す台車に乗せられて埋葬地まで運ばれ、彼女の望み通り、おなかの中にいる時のように足を屈めた状態で太陽を見上げる方向で埋葬されたのだとか。

その日の穏やかな風と木漏れ日、鳥の声、風鈴の音、人々が踏みしめるラベンダーから放たれる香り、そして彼女を想うたくさんの人たちの想い。「こんなに美しい日は経験したことがなかった。ただただ、全てのものに対して頭を垂れたい気持ちになった。」とピーター。

サステナビリティ(持続可能性)…という言葉は今、テレビや新聞で、そしてビジネスで、あらゆる場所で使われています。自分の会社の仕事でも普通に使っているけれど。クリスみたいに「本当の意味で自然本来の形でいること」を、自分の失われていく命と引き換えにしても妥協なく突き通すなんてことは普通の人には容易に選択できるものではありません。私ならやはり生き続けたいし、楽しく生きたいし、楽もしたい…彼女の真似なんてとてもできないけど、そんな覚悟をもって人生に臨み、それを美しく全うした友人がいたってことだけは、年一回静かに、でも確実に心に思い返したいものだと思っています。

背が高く、ショートヘアが似合って、優しくて知性的だったクリス。三年半を過ごした私のイギリス滞在の最後の夜を彼女の家で過ごし、日本への帰国する朝に私にプレゼントしてくれた手作りのフェルト帽子。
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クリスやピーターなど友人10人ほどで、一緒に鳥類調査に訪れた真夏のアイスランドで見たタシギ(田鴫)のモチーフがついています。冬用の帽子だけど、夏のこの日には、彼女を思い出して虫干しを。
by nicecuppatea | 2009-07-14 20:23 | イギリスでのこと(言葉・友人) | Comments(2)