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片づけ下手の言い訳

まだ、引っ越し後の部屋の片づけが、ダラダラと続いています。人と比べると、本当にこういうのに時間がかかります。。。

世間では「断捨離」、「片づけの極意」などということがよく言われる今日この頃。私はそういうのがめっぽう苦手で。生活の中で、過去の良いものも、悪いものも、時間が経っても引き連れて行こうとしてしまいがちな性質で^^;

でも、ふと考えます。

何か「モノ」を手放すことがイヤなのか、というとそんな気もしないのですよね。使い切っていない、と感じるものを、無駄にしてしまうということに強い気持ちが働くだけで。

イギリスに住んでいた頃、かの地を自分にとってとても住み易いと感じた理由のひとつが、自分の使っているものに関して、「捨てる」という選択肢をとらなくても、大抵のモノが誰かの手に流れていくこと、そして自分も「新しいもの」ではなく、そういうナガレモノを安く買ったり、タダで調達して自分の生活空間を自由に作ることが、あらゆる場面でごく自然にできるようなシステムがあった、ということがあります。

ダンナの理解もあり、我が家は日本標準でみると、かなり中古や古材で手作りしたボロ家具が多くて、引っ越しの時はあちこちで机の脚がとれたりして、引っ越し屋さん泣かせ^^;;

中古品や手作りのものを使うということは、あらゆる面で手間がかかります。デザインや使い方、直し方を試行錯誤しながら考えるプロセスが必要だからです。

長いプロセスをかけるより、迅速に片付くように、新品の家具を買ってしまった方がずっと簡単で便利かも。でも、引っ越しを繰り返し、はからずも居住空間づくりについて、何度も考える機会ができた私は、どうもそれがしっくりこないなぁと感じることがよくありました。

考えてみるとこういう傾向は、なにも引っ越しの準備や後始末に限られたことではないと、最近気が付きました。仕事であれ、趣味であれ、どんな場面でも、捨てられようとするものや、有効に使われていないものが、うまく生かされて何かの役に立つ、ということに、一番の気持ち良さを感じているらしいのです。

可燃ごみみたいな枝や根っこでバスケットを作ることも、
耕作放棄地を借りて、生ごみを埋めながら野菜を作ることも、
そのままでいたら言葉の壁を越えずに、理解されない誰かの言葉を通訳して伝えることも、

どうも、根っこは自分の中では繋がっているような。

ん~、仕事の件は、こじつけ気味かな。

今日も、ゴミ袋いっぱいのツル採取が完了~♪
これが、モノの形になっていくのを自分で眺めて、一人ニヤニヤするのでした。。。

まあ、ツル採りに行かずに片づけすれば、もっと早く終わる、ということには、気づいているんですけどね。
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by nicecuppatea | 2013-01-27 18:12 | もったいない | Comments(0)

昭和のにおい

先日、昨年90歳を過ぎて亡くなった祖母の「形見分け」ということで、30年以上住んでいて、家にあるとは知らなかった祖母の持ち物を、いくつか実家から持ち帰る機会がありました。

「ほしいものを持って言っていいわよ」といわれ、祖母の狭い部屋の押入れを物色。

桐のたんすの底に敷いてあったのは「昭和5年」の新聞。また、古い寄木細工の裁縫箱の中からは、くすんだプラスチックのレトロな針箱や、象牙でつくったらしい和裁用の「へら」、木製の糸巻き、貝ボタンなどがでてきて、畳の部屋に広げてみると、あたかも時が止まったような空間になりました。
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持ち帰ることを決めたのは、桐たんすと、レトロな小物を一杯つめた裁縫箱、木製のお盆や、正統派のドロボウが使うような唐草模様の風呂敷、竹尺、おばあさんが和服を打ち直してつくったと思われるちゃんちゃんこ、未使用だけどデザインがレトロな真っ白の割烹着、などなど。

「おもしろい趣味だな」と父からは揶揄されましたが、古いものには、懐かしさ、重み、自然のものと調和して、何か心を落ち着かせてくれるような色調など、ワンコインショップで買う日用品には決して真似できないものが沢山詰まっています。
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それに、自分で使ったことはなかったとしても、何だか自分自身の歴史の一部のような気もして、ここで手放したら、今後二度と出会うことはない・・・と思うと、なんとしても自分が持ち続けなければいけないもののようにも感じたのです。

古材で作った本棚や、藤で編んだバスケットをおいた部屋に一緒においてみると、なんだかとてもなじみが良い。鉄道に乗ってたおじいさんが使っていた、古い業務用革バッグも掘り出してきて、それも置いてみると、とても居心地のよい空間になったような。
by nicecuppatea | 2012-03-07 21:46 | もったいない | Comments(2)

粗大ゴミハンター

ピーチと散歩に行くいつもの公園へ続く道すがら、古い都営住宅があります。もう何十年もそこに建っている、とても古い都営住宅でしたがもう何年も人が住んでいる気配がないところでした。
昨日そこを通りかかると、入口のところに沢山の粗大ゴミが。。。

それを見ると「やはり何年もここには人が住んでいなかったのでは」との思いを新たにしました。とにかく、粗大ゴミで出されている家具がまるですべて昭和の映画セットのようなのです。

壊れた箪笥、段ボール、古めのデザインの食器、スチールイスなど。ついつい、先を急ぐピーチをいさめて、足を止めてしまいました。

その中に、ほこりにまみれたお茶の木箱があったのです。真っ黒でしたが分厚い木の板でつくられていて、蓋の周りには、昔のお茶の葉が入っていた時の装飾だったと考えられる、お茶っぱの絵が書いてある紙が茶色くボロボロになってかすかに残っていました。箱の横にはってある、これまた古いラベルには「1958年」の表示が。私よりよっぽど年代物(?)

せっかくピーチと「天気がいいから一緒に散歩にでようね!」といって家を出てきたのに、その後は公園に行っても「あの箱」のことが頭から離れなくなりました。つくづく貧乏性の私(^^

結局、散歩中もいろいろ考えて「よし、持って帰って玄関においてモノ入れにしよう!」と決意。帰り道はいつもと変えてその都営住宅の前に戻ってきました。思いきって手に取ってみると、蓋の上にはなにやら達筆な文字がサインペンでたくさん書いてありました。何が書いてあるのかわかららないけれど、非常に個人的な、人にかかわる情報が書いてあるように見えたのです。

よくよく考えてなんか、それを持って帰るのは辞めました…。なんだか「誰かのもの」というか、「人の念」みたいなのを感じる気がしちゃって。ウチに来ちゃったらもしかしたらいるべきところでなくなっちゃうような。結局粗大ゴミの回収にだされていたのだから、「いるべきところ」に還るようなものではなかったのだけど。

それにしても、なぜ日本では古ければモノの価値がなくなってしまうんでしょうね。蓋にある宛名のような文字さえなければ、間違いなく私、持って帰ってきただろうなぁ。古いものってそれだけの「時」に耐える造りの確かさ、デザインの普遍さ、そして使い込んだことによる味が感じられるんですよね。

自分が家を建てる時には、絶対あっちこっちから古いものをかき集めてきてしっぽりとした空間をつくりたいものだと思います。
by nicecuppatea | 2009-04-10 22:17 | もったいない | Comments(2)

レトロな秤

家にあるジャムや果物の加工品をおいしく、たくさん頂くために家でケーキを作ってみよう、と思い立って泡だて器を購入したのはつい最近のことでした。これはやっぱり手でバターや卵を白くなるまで泡立てるのは大変だから、と最近っぽい電動のものを買ったのです。

でもなぜか、昔から秤は古っぽい、レトロなデザインのものに憧れていました。イギリスの友人の家の台所で、モノが乗せづらそうな、秤の針が読みづらそうな、でもとってもレトロで味のある量りを見たときからです。そういう秤は、もしかしたら使い勝手はあまりよくないのかも知れないけれど、おばあさんの世代から使われているような重みがあり、りっぱなインテリアにもなっていたのです。もちろんイギリスのお店でも探してみたし、日本でも物色してみましたが、「ステキ…」と思うものはお値段もかなりのもの。。。

日本に帰ってきてからはイギリスのeBayというオークションサイトを見て、レトロな秤を物色したりしましたが、なかなかイメージしていたものに出くわさず…。

先日、会社を出る前、事務所のゴミ箱のごみを捨てようと、会社全体のゴミをまとめているゴミ収集場所へ行った時のこと。燃えないゴミということでこんなものを捨てにきた別の社員の人に出会いました。
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「えっ、これ、捨てるんですか?」
「そう、もうお皿も割れているし、郵便物の重量を量るのに昔使っていたんだけど、もう今は使っていないからね」

見れば重量が書いてある紙のテープもかなり日焼けしていて、ずいぶん昔から使っていた様子がわかります。

う~ん、いらないのはわかるけど、これ、ゴミにするにはちょっともったいなくない?つい、「捨てるんなら下さい!」と言っていました。

イギリスのオークションサイトまで物色した暁に、何のことはない、今働いている会社のゴミ捨て場で秤を見つけて拾ってきたのです(^^

捨てられるはずだった秤は、今、お菓子作り初心者の私の、大事な材料用秤として「第二の人生」を歩んでくれています(笑)

そりゃぁ、イギリスで見たレトロな秤には及ばないけれど。。。捨ててしまうには味がありすぎる~…と思えてしまって。プラスチックは好きじゃないけど、このレトロな味にその場を通り過ぎることができませんでした…。
やっぱりあたし、変わっているかな(^^;
by nicecuppatea | 2009-03-31 21:55 | もったいない | Comments(4)

雑魚、売っていないかなぁ

まだ西伊豆の話の続きです。西伊豆に行くと必ず寄る回転寿司屋があります。回転寿司なんですが東京モノの我々にとって何がそんなに惹かれるかって、東京ではあまり寿司屋で聞いた事のないような魚のお寿司が安価で食べれること。高級なトロとかウニとかよりは、どちらかというと近海でとれた安い魚で新鮮なものがあったりすると、まずそれが食べてみたくなります。

そこの回転寿司屋さんのお品書きにも、ソイ、アカギ、アブラボウズ、ホテイウオなど、私が聞いた事のない名前の魚がたくさん。魚の呼び名は成長するにつれて変わったり、地方によっても違うみたいなので、中には東京で知っている魚もいたのかもしれないけれど。安価な上、量もたくさんとれないこういう魚は、大きな流通に乗ることなくこうして地元で消費されていくのでしょう。これを食べに行くのが毎回、楽しみです。

地物を食べれる寿司屋さんに行くだけでなく、いつも西伊豆に行くとどこか地元の魚屋で東京では売ってないような小魚をお皿に山盛りして安く売っていないだろうか・・・と、通り過ぎる魚屋さんやスーパーを丹念に見ています。不思議なのは魚屋が少ないこと。「あたりまえだよ、みんな自分の家で漁業権もっているもの」と宿のオーナーに言われてなるほどと思いましたが(^^;

とにかくお店で見つかるのは「お土産」と称した干物などの加工品がほとんど。、私が探しているような、日持ちがせず高級感のあまりない安価な生の小魚はおそらく地元でも市場にでる前に、あちこちで譲渡されたり廃棄されたりしてなくなってしまっているのでしょう。

有名なフランス料理の「ブイヤベース」は、まさにそんな小魚からとれるエキスを取りきってつくったおいしいスープ。きっと毎日の漁の結果たくさんとれる小魚を使い切る知恵として発展したのではないかなーと思いを馳せます。日本の漁村もきっと状況は似たり寄ったりなのではないかな。

でも小魚を使い切るような料理が小さな漁村で名物として大々的に宣伝されていたり、ここにしかないお土産として売られている…なんて光景は見かけたことがありません。「そりゃあ、君の思うようなことばかりは見つからないよ」とダンナは笑いますが。金目鯛の干物も高級鰹節も魅力的だけど、生活に根付いた「その場所の知恵」みたいなおいしく安い素材に出会いたい、と感じてしまうのはよそ者の勝手な思惑でしょうか。

それでも思ってしまう、そういうのをもっとウリにしたらいいのになぁ、と。帰りがけに寄ったひなびた漁村の裏道で隠れるように存在していたスーパーで、ようやく見つけたたくさんの小魚を安く買って当初の目的を達した私は再び「こういうの、欲しい人は私以外にもいるんじゃないかなぁ」と。

もうそろそろ、遠くの海でとれる大きな魚を高価な値段で買って食べるだけじゃなく、島国の日本には色々な雑魚もおいしく頂く料理がある、ってなトレンドになってくると私が興味を持つような小魚も入手しやすくなるかもしれません。
by nicecuppatea | 2009-01-27 19:49 | もったいない | Comments(0)

遅ればせのカード

もう既にクリスマスは終わってしまっていますが、日本の祝日はこれから。日々の細々した仕事にかまけて早くにクリスマスカードを出すことが苦手は私は、毎年外国の友人たちにも「日本はお正月の国だから」と言い訳しつつ、グリーティング・カードはお正月をめがけてだしています。

このグリーティング・カード、年賀状などに比べるとかなり割高です。賀状と比べて、「一度に大量に送る」種類のカードとは日本では考えられていないのでしょう。まとまった枚数で売っているモノを探すのが一苦労なうえ、バラで買おうものなら一枚で200円とか!何十枚もだすとなれば、それだけでかなりの出費。その上エアメールで出すと郵便代もかさみます。

数日前「クリスマスは誰かにお返しをする日」と言った私が、「お金がかかる・・・」などというのは矛盾した話にも聞こえますが(^^

そんなことでここ数年は、手作りカードでお茶を濁しています。今年は近くの電気屋さんでもらったカレンダーを家にあった色画用紙に貼り付けて、バスケット編みに時々使うラフィアをアクセントに。

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カードが出来上がる、ということの「裏」の喜びは、家にたまっていて使い道の見つからなかったものが、有効に「使われる」という事実。カレンダーはあまりものだったし、画用紙も数年前のクリスマスカードの残り。ラフィアは人工的なクラフト材料だったので、あまり普段のバスケット編みに使う野のツルには合わないカンジがして使っていなかったのです。

こんなカードをはじめ、これからの年末年始の休みでは、家にたまっているさまざまな「素材」をじっくりと形にして、実生活に生かしていくために時間が取れるのが楽しみ。なかなか時間をかけて料理出来ていない畑でとれた豆を煮たり、焦げてしまって今にももげそうな鍋の木の持ち手をつけかえたり、夏場、時間がなくて冷凍庫に放り込んだままのトマトをきちんとソースにしたり・・・。家にあるものが有効に使えて、一日、どこでも買い物をしないで快適に暮らせた日って、とても気持ちがいいんですが、これもケチだからかな(^^ゝ 
by nicecuppatea | 2008-12-27 23:21 | もったいない | Comments(2)

「二日目」の楽しみ

きのうの夜は会社の人たちが集まって、Holiday gathering(クリスマスシーズンの集い)ということで、サロン形式のパーティがあったので、今週は畑にはいきませんでした。

パーティは「ご出席の際はお好みの前菜またはお飲物をご持参下さい」というもの。私は甲州の白ワインを一本持参しましたが、外国人の出席者も多く、持ち寄られた食べ物にはなんとなく外国の家庭料理を想起させるものがいっぱい。(私も里芋の煮っ転がしでも持っていけばよかったですかね…前菜、という言葉にはそぐわない食べ物かもしれませんが。)

そういうパーティの常として食べ物は最後にたくさん余ってしまうのです…。中には奥様方が作られたラザニアやフルーツケーキ、ローストビーフなど、「ただ買ってきたもの」でないものがいっぱい。私はとにかく食べ物が残る、というのが見てられないタチ。ただ、普通は上司たちの集まりのパーティで「もったいないから、これ持って帰ります」とは、ヒトは言わないでしょうね。

そこは私はちょっと変わっているので(^^ゝ)臆せず「せっかくですから持って帰って頂いてもいいですか?」と伺うと、奥様は「あら、本当に持って帰ってくれるの!?全部お願いよ。」と、最終的には大きなキャンプ用のクールバッグを貸してくれ、キャセロールいっぱいのラザニア、ミートボール、ほかの奥様方がつくられた、フルーツケーキやキャロットケーキを、まるでこれからパーティにでかける「仕出し屋」のようにつめ、赤坂から電車に乗って帰ってきたのでした。(ちょっと恥ずかしい…)ワイン一本持って行っただけなのに、さながらわらしベ長者(笑)

ラザニアやキャロットケーキは今日一日中、我が家の食卓をにぎわし、さながら今日もパーティーメニュー。机は汚いけど(^^;)
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昨日立食形式で食べていた時には気づかなかったけれど、ラザニアはお肉とベシャメルソースが少なめで、野菜の食感を残した中に、カテージチーズやチェダーチーズなど、何種類もの違ったチーズが使われている様子。ローズマリーのほのかな香りがしました。

「あまり重くなくておいしいね」などと、ダンナとも話しながら、ラザニアの味をとことん愛でることができたのは、昨日ではなく、今日の食卓ででした。ビュッフェ形式のパーティって、軽くて楽しいけど、やはり手作りの食べ物がたくさん並んだら、きちっと味わいつくしたいものです。
by nicecuppatea | 2008-12-14 19:22 | もったいない | Comments(2)

都会での生ゴミ処理

久々にゆっくりと予定の入っていない東京での休日です。どっぷりと「スローな仕事」を片付けることに。たとえば:

その1.去年収穫してあってまだ手づかずだった高キビを脱穀・調整(ことしのがそろそろ乾きあがるから)
その2.去年収穫してあって、まだそのままだった落花生の塩ゆで(ことしのがもう獲れちゃうから)
その3.どっさり取ってきてそのままだった韓国唐辛子を切って乾かす
その4.乾かしてあったオレガノでリンスをつくる
その5.枝ごと収穫した綿花からコットンボールをとる(半分はそのままドライフラワーに♪)

e0151091_23115096.jpgこういうことをちぶちぶ台所でやっているとものすごく生ゴミがでるのです。

田舎だとどこの家も庭や畑の片隅に大きな穴が掘ってあったり、コンポスターがおいてあって、そこに生ゴミは落ち葉と一緒に投げ込めば、匂いもしないし、気がつけば土に戻っています。大したことではないのだけど、私はそれを見るのがとても気持ちがいいのです。生活の「ゆとり」のバロメーターとでもいうんでしょうか。ちょっと変わってるとは思いますけど(笑)

都会というのは、毎日の暮らしの中からでてくる有機ごみが自然にもどるようなスペース的なゆとりも、時間的ゆとりも持ち合わせていない気がします。匂いがでれば近所迷惑だし、葉っぱや小枝を家の敷地の隅に積み上げても「汚い」とか「片付いてない」と見られちゃうし…。 そんな状況の中では、生ゴミはとりあえず自分の目の前から消すために「燃えるゴミ」として出してしまうしかない。

とはいえ、生ゴミや庭の剪定屑など、決まりといっても「燃えるゴミ」にだす、っていうのはモノの「巡り」をぶつ切りにしているようで、私にはどうも気持ち悪くて…。ということで、都会での苦肉の解決策としてウチでは生ゴミはすべて電気式の生ゴミ処理機にいきます。

「電気を使ってなんて…」と、最初は思ったんだけど、自分の生活の中からでた生ゴミが、20センチちょっと四方の四角いスペースの中で人工的とはいえ、色々と混ざり合って土に戻るプロセスを自然の「早回し」みたいにして見ているのは、なんとなく興味深い(笑)だんだんこれひとつでひとつの生態系みたいに思えてきて、水分が増えたなーと思えば古いドライフラワーとか切り刻んでいれてやったり。水分が少なくて嵩が多いかなーと思ったら野菜の生葉や、魚のアラをそのままちょっと加えてみたり。ちょこちょこ微調整しながら発酵具合を「どれどれ」と、朝覗いたりしています。

水分が抜けて茶色くなり、ある程度嵩の減った生ゴミはにおいもなくなります。こうなったらごっそり袋につめて田舎へ持って行き、畑の土にすき込みます。

でも結局、電気で生ゴミ分解して、車で田舎に運んでるんだもんなぁ(笑)ここでも都会のスローライフは矛盾がいっぱい。

それでも今日も一日の台所仕事の終わり、乾いた枝屑や野菜の切れ端、落花生のカラなど、どっさり生ゴミ処理機にいれて、下準備の終わった落花生や高キビがきちんと冷凍庫へ入ると、とりあえず都会に住みながらも生態系の一部に参加しているような気分になります。

ま、変わっているとは思いますけどね(^^
by nicecuppatea | 2008-11-23 23:25 | もったいない | Comments(2)

スローライフへの道はまだ遠い…

どこで見たか忘れましたが、「日々の食生活」を考えたとき、「自分の家のキッチンの窓から見える範囲のものを食べて暮らすのが一番健康で幸せ」というのを読んだことがあります。

要はどうやって育ったか分かっていて、自分の住んでいる場所の気候に合っているものが体に良いしおいしい、というようなことなんでしょう。

もし、家に隣接する畑で野菜を作りながら、毎日食べる分だけ朝、畑から採ってこれるような「正真正銘スローライフ」生活なら、それを実現できるかもしれませんね。

かたや東京と田舎を週末ごとにあくせく往復する私の「スローライフになりたい生活」では、そんな美しい現実はありません(^^

日曜日の夜田舎を車で離れる時に、翌週末に畑に戻ってくるまでの間の食生活を想像し、前広かつ結構計画づくで、かなりの量の野菜を効率的に車に積み込み、東京までどっさり持って帰ってくる必要があります(といってもこの「効率的積み込み」は私ではなくダンナの仕事♪)

野菜は古いものから使いきらないといけないから、週末までに使い切れなかった野菜はそのまま再び車で田舎まで持っていき、週末に使い切ることになります。気がつけば料理されることなく田舎と東京を行ったり来たりする野菜がでてきたりして「ねえ、これ先週も車に載ってなかった?」と旦那から問い詰められる羽目に(^^;エコな暮らしを目指す裏側にはムジュンがいっぱいです(笑)

「こんなものまで東京へ持って帰るの?」の例のひとつがこれ。
e0151091_1353941.jpg今年初めて球根を買って植えてみたサフラン、ホームセンターで10個で400円くらいでした。畑で植えてみたところ花がたくさんつきました。

なんの偶然か、20年も前に死んだ祖母が植えたと思しきサフランまで近くから芽を出していっしょに咲いていました。どうやら春先、畑の土の「天地返し」をしたら、今まで日の目を見なかった球根が地表近くに現れて芽を出したらしいのです。

今週末は畑には行かないので「もしそのままにしておいたら、来週満開のサフランから大事なめしべが収穫できない!」とまた、みみっちい考えが頭をもたげ、先週は花の咲いているサフランの球根をわざわざ堀あげて東京まで連れて帰ってきました…(サフランは土がなくても花が咲く植物だというし。)e0151091_13551642.jpg
これだけのめしべ、東京の●武のデパ地下のスパイス売り場で買ったら何千円もするんですから!

「コスト削減を常に考えましょう」という会社の教えがこんなとこにまで浸透してるのか…?


でもきれいな花が味気ない東京で咲いてくれるのが何より。
by nicecuppatea | 2008-11-15 14:00 | もったいない | Comments(4)