カテゴリ:暮らしのアイデア( 114 )

朝ラン!

最近ついにランニングを始めました。

「いつやせるんだ?」という自問自答が始まった頃、つまりかなり前から考えていたんだけど、ようやっと。重い腰を上げた…というか。この年になり体重が過去最高を恐ろしいペースで更新し始めたので。

旦那が気合いのはいったトレーニングとランニングで見事メタボを脱出したのが三年前。すごい!よく努力した!と賞賛しながら、何ででしょうねぇ、「私も一緒にやるよ」って言えなかったんです。変な照れくささがあったんでしょうか。バカですね。

最初は何だか恥ずかしくて「歩いてくる」とか言って家をでて、ゼーゼー言いながら十五分くらい走ってました。バカですね。

ところが、たった数日とはいえ一生懸命走っても、漫然と暮らしてた日々と比べて全く体重は変わらず、むしろ増加の傾向が。意地っ張りのわたくしもそこまできてようやっとダンナのアドバイスを求めました。

「走る時間が短すぎるんじゃないの?スピード落として時間を長く走ったら?」…今でも苦しいのにもっと苦しむ時間を長くしろと言うのか…と理不尽にもダンナにあたってみたりしましたが、冷静に考えればもっともなこと。

そこで、公園の内周の、コンクリートで整備されているトラックをハーハー言いながら走るのをやめて、公園の端の林の中をゆっくり楽しみながら走り始めました。これがなかなか。

公園は○衛隊の基地に隣接しているので、まわりに住宅地はなく、深い森の中を走っている感じがするのがとりわけマル。朝六時前、木々の間の空気はうっすらと霞んでいて、ひんやり湿っています。ヒマラヤ杉の落ち葉が厚く積もった上を走るのはさながら絨毯の上を走っているようで足にも柔らか。

気がつけば一周約1.5キロ、三周をここ数週間、毎日。
私的にはものすごい達成感!!
まだ何も達成してないですが(笑)
by nicecuppatea | 2010-07-04 20:38 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

廃材再び

廃材再び
一通り、玄関前の小さなスペースを掘り起こし「キッチンガーデン」を作ってみて、植えたかったものを植えてみました。日当たり万全ではなく、土も「フカフカ」からは程遠いですが、野菜達はそれなりに育ってくれています。

ただ、何とも狭い!
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そうなると今度は「プランターがおけないかな」という欲がでてくるもので。

ということである朝、家のそばの古材置き場に釘抜きとハンマーを手に再び廃材あさりに行きました。古い木製パレットを、釘抜きひとつで「てこの原理」を使いながら一枚一枚木材にバラしていくのはかなりの全身運動を要しましたが、素材集めは思惑通り。
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集まった木材を組み立てて、折れないように注意して抜いた古釘で再び留め直してプランターにしてみました。木材の古びた感じが、私好み♪
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こちらはピーマンを植えましたが、その後調子に乗って、根を浅く張るキュウリ用も作成。蔓が伸びて室外機の目隠しになれば、という目論み。プランターは廃材と古釘、中に入れる土は隣接する公園の落ち葉溜から掘った腐葉土。肥料にはご近所のお米屋さんからタダで頂いた米ぬかを。
何も買い足さないで出来上がったことがわたくし的にはなぜかとてもうれしいのです。ま、究極の自己満足ですけど。

どれくらい育つか分からないけど、台所のすぐ隣で野菜を育てる、って私の本能が求めていた姿に近くなったことだけは、間違いないなっ、て感じます。
by nicecuppatea | 2010-06-28 20:43 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

すっかり前回の更新から間が空いてしまいました。忙しかったというよりは、何かと生活の中で考えることが多くて、なかなか文章がまとまらない状況がしばらく続いていました。

個人的には色々と考えることの多い一年でした。何というか、それまで先送りにしていた「これからどうするんだ?」っていう問題とか、会社の仕事、そして家族…。

毎週、忙しく会社で過ごす平日は私にとって、さながらモラトリアム。「人は会社で仕事を通じて成長する」というのも真実だと思いますが、ある意味それ以外のこと、家庭、地域、自分が仕事以外にやりたいこと、など人生の他の部分を「忙しいから」というありふれた言い訳によって、見て見ぬふりをすることを許してしまう免罪符にもなりかねません。私の場合ですけど、ね。

色々考えた結論として私は、これから週末に自宅から離れた場所で畑作をするのではなく、通勤可能な場所で、地に足のついた生活を目指しながら、その場所でできる野菜をつくるような生活を今年から目指そう、と思い立ったわけです(^^

何度も書いてきたとおり、週末に田舎に出向いて畑作をすると、週中は疲れ果てて家は荒れ放題、週末はいわば現実逃避、そして日曜日の夜遅くに整頓の行きとどいていない東京の我が家に戻り、翌日からはあわただしく会社に戻っていく生活になるわけです。いくら田舎で「丁寧な生活」を目指しても、東京での生活は雑なもの以外の何ものでもありません(- -;

そんな思いを胸に、「2010年は新たな出発の年にしよう」と、大みそか12時の時報を聞いて、滞在中の山梨の、近所の神社へ初詣にでかけました。(なんだかんだいって年末年始は、やはり山梨にいました…)

その神社は甲府盆地の中にあるたったふたつの「山」のうちのひとつにあります。まぁ、山といっても丘みたいなもんです。昔「でいらぼっち」という大男の担いだ「もっこ」から落ちた砂のひとかたまりが山になったという言い伝えがあります(^^

10分ほど歩いて着いた山(というか丘)のふもとに鳥居があり、その先には急な石段が20段ほど続いて古い神社の本殿につながっています。(その本殿が、山の頂上です)我々の前には10人くらいの人の列が。その人たちに続いて急な石段を上って本殿でお賽銭を投げ終わると、横にはお守りを売る小さいテントがあります。

ここで1種類しかないお守りを500円でそれぞれ買って、階段を降りると、参拝者全員に地元の人たちから無料でみかんが配られ、甘酒がふるまわれます。冷え切った体でふうふう言いながら甘酒を頂くのは大きな焚火の前。この焚火は食べ終わったミカンの皮や、甘酒の紙コップ、そして古いお守りを思い思いが投げ入れる、というとてもおおらかな「お焚きあげ」。

およそ「初詣」に私が必要と思う全ての要素がこの小さい場所に揃っています。寂しすぎず、かといって混雑しすぎず(^^

除夜の鐘が聞こえる中、桃畑の中を懐中電灯も持たずに月の光を頼りに山へ向かって歩いていると、盆地の裾のようにせりあがった山肌のあちこちで新年が明けたことを知らせる打ち上げ花火があがるのが見えます。

シンとした空気と明るい月夜、そしていつもの夜中より心持明るく感じる甲府盆地の夜景。そんな光景の中にだんなとピーチと初詣に向かうと、理屈抜きに「色々あったけど、とにかく幸せだな」という気持ちが心の中にひたひたと湧いてきます。

今年も、私なりに頑張っていこう。初詣の翌日、初日の出を見逃したので元旦の「初満月」を見ながら、気持ちも新たに(^^

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by nicecuppatea | 2010-01-14 22:49 | 暮らしのアイデア | Comments(2)

夏のエネルギーを体に取り込もう…

ずいぶんご無沙汰してしまいました。最近なんだか仕事に追い立てられるような日常で(^^;寝るためだけのために家に帰っている感じ。余裕がありません、イヤなパターンです。

とは言っても、やりかけの仕事を残しても会社から帰れないし、締めが決まっていたら夜遅くまでやるしかないし。

昔は夏休みっていえば、やはり他のどんな四季の休みより、解放感がある特別なものだった気がします。夏の湿った大気、セミの声、蚊取り線香の匂い、そんなものが独特の空気を作り出してそれがそのまま思い出になっています。

中でも、私にとってなぜかミンミンゼミの声っていうのは強力な夏のシンボル。この音がしているのに「夏休み」モードでない自分はとっても寂しい状態にいる気がします。

山梨の畑も雑草に埋もれているとはいえ、この夏の日照りでスイカやモロヘイヤなどの野菜は堰を切ったように育ち始めています。焼けるような日照りの下ではじけそうな甘い水分を硬い殻の中に閉じ込めて大きく膨張するように育つスイカの実。水気の全くない乾いた畑で青々とした葉をものすごい勢いで伸ばすモロヘイヤの葉。

せめて。時に萎えそうになる都会の8月に、生命力を一杯蓄えたスイカや夏野菜をどんどん体に取り入れよう。
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寝るだけのために帰ってもそうめんに茹でて叩いたモロヘイヤ、きゅうりやナスのみじん切りの塩もみ、すりごまに青紫蘇のみじん切りをまぜて、体に流し込みます。
せめて週末までに、先週採ってきた野菜が全て体に取り込めるように。
by nicecuppatea | 2009-08-20 22:10 | 暮らしのアイデア | Comments(2)

ずんだれた週末

ここしばらく精神的にゆとりに欠けるなぁ…と思うペースで日々が流れている気がしていました。

何がバロメータかというと、私の場合、どれほど自宅にある野菜を使って自分で料理したか、ということ。生野菜だけではありません。去年のシーズンにたくさん収穫できて干しておいた干し大根、干しナス、干しゴーヤ、干し葉玉ねぎなどなど。ちょっと時間と手間をかけて自分で料理することでお弁当のおかずになるのだけど、その「ひとてま」をかけられず、平日は睡眠時間が惜しくて、すぐ寝てしまったり。

東京に留まる!と決めたこの週末は、そういう「今まで足りなかったもの」を取り戻す時。目覚ましをかけずに自然に目覚める嬉しさ(^^のんびりと起きて新聞に目を通し、散歩をせがむピーチをなだめながら、ゆっくりコーヒーをすすります。

その後旦那と一緒に、ピーチを連れて少し離れた商店街まで、「今日の食材」を買い求めに眺めの散歩にでます。ここは家から歩いて20分ほどのところにある昔からの商店街で、おでんのネタ屋さん、天ぷら屋さん、鶏肉屋さん、洋品店、刺身屋さん、と「どうやって儲けがでてるんだろう…」といらぬ心配をしてしまうような、安売りをしている古くからの商店が並んでいます。東京にいる週末はここでお刺身と煮魚や丸揚げ用のマルの魚を買うのが習慣になっています。

東京にとどまった週末、このあとどうするかというと、家にストックしてある野菜を総動員して下ごしらえをし、「天ぷら屋」になります。

野菜はタラの芽、ニンジン、新玉ねぎ、長いも、ミツバなど全て庭や畑でとれたもの。それに赤鶏の軟骨を「動物質」として加えて、大量の天ぷらを揚げます。
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これを、酒に強くない旦那はチューハイと共に、お酒が結構好きな私は白ワインと共に、お刺身もつまみながら2時頃からダラダラと飲み、食べ続けるのです(^。^)

3時過ぎには二人とも出来上がり、ホッと一息。お酒が抜けてきたら私はぬるいお風呂に本を持ち込み長時間つかりながら汗を流します。

夕方には再びピーチを連れて長い散歩に。だんだん日が長くなってきた今、これで「ご飯も食べたし、風呂も入ったし、ピーチの散歩もしたし!」と思ってもまだ明るい7時頃。あとはただただずんだれたままテレビ見たり、くだらないこと言ってだらだらして、9時頃には「いつでも寝られる」状態に。

何にも特別なこともないし、どこか特別な場所に行くわけでもない、お金をかけるわけでもないし、あまり褒められた時間の過ごし方でもないかもしれないけど…でもこういうのって結構、幸せの極みだなぁ、と思ったりします。
by nicecuppatea | 2009-05-17 08:22 | 暮らしのアイデア | Comments(2)

美しい剪定枝

先週末、山梨の家にいた時、久し振りに地域の農産物もちより市場、「農てんき」へ顔をだしました。近所の人がつくって安く販売しているしいたけがお目当てでした。

ここへ行くのはピーチも大好き。夏に行けば桃が食べ放題、秋には蒸した里芋やブドウ…と、お店のおばさんも何かとピーチにお土産をくれるので、お腹でよく覚えているカンジです。

「悪いわねぇ、今はなにもあげられるものがなくって」と言いながら、「そのお花、もっていってね」。

レジの隣には大きなつけもの樽がふたつ置いてあってそこには深紅色の桃の枝にびっしりとグレーの毛につつまれた桃のつぼみがついた枝がどっさり水につけてありました。

このへんの桃農家ではこれくらいの時期も、まだ桃の剪定をしている農家が多いのです。切り落とされた枝についているグレーの毛玉くらいの大きさの桃のつぼみは、そのまま水につけておくとだんだん大きくなり、真ん中からはピンクのシルクみたいな花びらが見えてきて、徐々にほつれてついには花瓶の上で鮮やかなピンクの花を満開に咲かすのです。
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一度咲こう!と思った花の勢いは、枝を切っちゃっても止められないのですね。

この時期切った桃の枝を水につけておけば花が咲く、というのは農家の人がみんな知っていること。でも、この時期以降、桃の花の摘蕾、摘花、摘果と追われる桃農家の人たちにしてみれば、「木についている桃」の世話をするので精いっぱい。切ってしまった枝にどんなきれいな花が咲くのであってもそれは正直、かかわっている時間も労力もない…のだと思います。

「農てんき」の素敵なところはこういう農家のやむを得ない落し物も目いっぱい活かしていること。剪定くずであっても、その枝を部屋に飾るだけでうれしい春の気配を一杯に感じられる人がどれほどいることでしょう。それを「ただで持っていけるように」するなんて、どんな高級スーパーでもできない、地元だけの、粋な計らい。

二束も桃の枝をもらって家に帰ってきて庭の剪定屑の山をみたら、ずいぶん前に切ったモクレンの徒長枝の先についた白モクレンのつぼみがほころびつつあるのを見つけました。桃の枝と一緒に大事に東京までもってきて一緒に瓶に活けてみました。モクレンなんて、今まで木のてっぺんでたくさん咲いている花、としか思わずまじまじと見たことがなかったけれど、一夜あけてさらにほつれてきたモクレンの花は、さながらカメオ細工。
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by nicecuppatea | 2009-03-25 21:19 | 暮らしのアイデア | Comments(2)

イスづくりとスプリント編み

昔からなぜか「木の椅子づくり」というものに憧れを持ち続けています。イギリスで田舎風の椅子作り(Rustic chair making)といえば、色々なコースが存在するくらい、ニッチではありますが根強い人気のあるホビーなのではないでしょうか。留学生時代はお金がなくてなかなかコース参加はできませんでした。「勤めだしたら参加しよう」と心に決めたものの、今度は時間がなく(笑)

その、椅子作りの方法も数々あれど、私が特にやってみたいと思っているのはヤナギやヘーゼルの木にスチームを当てながら曲げていってフレームをつくる「ベント・チェアー」と呼ばれるもの、そして雑木林から切り出してきた木がまだ生のうちに電力を一切使わない足ふみろくろ(英語ではポール・レース<Pole lathe>といいます)で皮をむき、成形して椅子の脚やフレームをつくったりするもの。

そして座部はイグサや木の皮で編むんです♪Chair seating(椅子の座部を編んで作ること)といえばこれまた、アンティーク好きのイギリスでは、ニッチなホビーとして確立しているものでした。Seatという単語は、動詞として辞書を引くと「座る」という意味が主ですが、辞書に書いてある意味の最後の方に「椅子に座部を付ける、つけかえる」という意味もでてきます。それなんです!その作業がまた奥深く(^^

日本では居酒屋のカウンターにある椅子の座部がイグサで編んであるのを時々目にしますね、ああいう感じのものを作る作業ですが、出来上がりはあそこまで居酒屋っぽくない(?)、田舎っぽい椅子を夢見ています。

木の皮や木の繊維を長くリボン上に剥いだスプリント(Splint)といわれるものをつかってバスケットやいすのシート部分を編むことは、いろいろな国の伝統工芸に見られるようです。日本にあるものでは竹篭づくりの技術などが一番近いんでしょうかね。その素朴でやさしい風合いにとても惹かれて、ぜひ、一度自分で作ってみたいものだと思い続けていますが、スプリントは自分で木を切ったり、そばで伐採をしている環境がないとなかなか手に入らないので、なかなか試せずにいます…。

昔近所の公園の桜の木を剪定していた時、短く切り刻まれた幹をもらってきて、そこからとれた皮でつくったのがこのとても原始的な箱(--;)まだまだ習熟の余地ありです。
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都会では剪定くずも全てかさばらないように小さく小さく刻んでいくので長いスプリントがとれるような剪定枝は残っていませんでした。いつか、自ら山に入って思う存分スプリントをとってきて、椅子を編みたいなぁ…。

そう思いつつ、今日も東京の狭い家でお風呂につかりながら椅子作りの本を眺め、想像を膨らませるのでした(^^
by nicecuppatea | 2009-03-06 20:47 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

ゆとりの生活を追いかけて

先日も書きましたが、私も田舎で土をいじったり、バスケット編んでみたり、こまこまと畑のもので料理してみたり色々と手を出していますが、それもこれも、週5日間フルタイムで、時には残業もしながら会社で仕事して、それでも時間的、精神的に少しでも「ゆとり」のある生活ができれば、と思うからこそのことです。

ただ、実際毎日の自分の生活の中で、本当にゆとりが生み出されてきているか、というとなかなかそういう実感がありませんでした。

「効率化」という言葉には無機質なトゲがある気がしてあまり自分の私生活にまで持ち込みたいとは思いません、が、何かちょっとしたことに気を使ったら「平日の夜でもバスケット編みの気力も時間も残ってた!」となるようならば、ぜひそうなってみたいものだと思います。

早起きする、自分の時間を何に使ったか管理する、手帳を有効に使う、とノウハウ本は色々でています。ただ自分の生活に実感をともなって「これなら私にもできる」というものでないと、私生活まで「管理され感」が強くなりそうで、巷のノウハウ本などにも手を出したことはありませんでした。

きっとこういうのって、本に載っているのをそのまま試すんじゃない。自分の生活の中であればどんなこと?って自分で小さなアイデアを見つけていくものなんでしょう。遅まきながら私の生活も自分で振り返ってみました。書き出せば恥ずかしいような小さなこと、例えば…

ピーチに朝晩のフードと一緒にあげる温野菜は毎日煮ないで数日分まとめて作る
帰宅したら座り込む前に着替える(小学生かよ、って感じですが(笑))
夕食を終えたらそのままダレないで夜のピーチの散歩に出かける前までに翌日の晩御飯(せめて一品分)の下準備もする
朝、胃もたれした気持ちにならないように、夕飯には揚げ物を食べない
朝目覚めたら、寝床でテレビをつけて覚醒を待つ時間は15分まで!

こんな小さい自分との約束の積み重ねならば、マニュアル本より敷居が低くて(レベルが低くて、とも言う)、とりあえず試してみられそうです。
by nicecuppatea | 2009-02-04 19:46 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

プロセスを楽しむ

最近巷では不況にからんで、節約術、外食ではなく家庭で安くおいしく料理するコツ、スーパーの価格値下げのニュースなど、「不況の中どうお得に生きていくか」みたいな切り口のニュースが連日テレビや新聞を賑わしていますね。

確かに、身入りが減ってきたり、原材料の高騰で商品の値段が上がったりする中では、日々の普通の生活が難しくなってきているのは事実なんでしょう。でも時々思うことがあります。

「だってXXに○○円かかるでしょ、△△も買い換えないといけないし、◎◎もしないといけない、◇◇も必要…ああお金が足りない」なんていう言葉を巷で聞くたびに、「でもそれって本当に思っているほどのお金をかけないとできないことなの?」と。

イギリスにいる時友人知人を見ていて驚かされたのは、誰もが何でもかんでも「自分でやろうとすること」でした。家のドアのつけかえ、台所まわりのタイル張り、リビングの壁のペンキ塗り…。「すごいね」と感嘆する私に「人に頼むとお金がかかるのよ。それに本当に腕のいい人かどうかもわからないわ」。どうせ下手ならお金を払わずに自分でやったほうがまだまし、ということでしょうか。高いお金を払って大工さんに依頼する日本では圧倒的にお金を払った人の腕をお客である我々が信頼していますが、どうもそういう事情でもないようでした。それがDIY(Do It Yourself)をこれほどイギリスで盛んにした裏事情のひとつとも言えるかもしれません。

その代償として、お手洗いの取っ手を勢いよく回したらそのまま抜けてしまったり(ちなみにディナーでお呼ばれしたお宅での出来事でした…)、雨になると湿度を吸った勝手口のドアが「開かずの扉」と化すような立て付けだったりと、驚くような不具合もでてきたりしますが(^^でも、DIYだけではありません、家族旅行の手配、自分の結婚披露宴のアレンジなどなど、とにかく自分でやっているから、人に頼むのとは比べ物にならないほど安く済むのだろうな、という例はたくさんありました。

「そんなこと、忙しくてしてられない」という人もいるでしょう。一般的に日本人は(と大きく括ると誤解がありますが、概して、の話です)、自分で考えるのは時間がかかるしよくわからないから、多少お金がかかってもきっちりした形で出来上がっているパッケージ、セット、といったものに惹かれる傾向があるのではと思います。朝・昼・晩と食事が全てついて、何も自分で心配することのない海外パッケージツアーなどを好むこともしかり、保険に加入するといえば、「提案メニュー」としてユニットタイプをそのまま使ったり。

えてして、「サービス業」と言われているものは、自分が考える代わりにいろいろ調べて、自分の代わりに選んでくれて、自分の代わりに何かを実施してくれている、という性質が少なからずあるでしょう。結果、そのサービスを受ける我々は、時間や手間をかけて考える代わりにお金を払って簡単にコトを済ませることができる、というものです。

便利ですよね、そういうのって。でももしかしたら今の時代って、一度、原点回帰するというか、そういう自分たちの普段の行動を振返り、考え直すきっかけなのかもしれません。今まで「到底自分ではできない」と思っていて、人にお金を払ってやってもらっていたこと、それはもしかしたら専門家に「そういう風に思わされていた」のかもしれない…と疑り深い私などは思ってしまいます。「パッケージ」の中身をよくよく見たら「なんだ、私こんなことしたかったわけじゃない」という本意に反するようなことも、知らず知らずのうちにやっている、っていうような可能性だってあるかもしれません。

お金を払って人に頼む、サービスを受ける、というのは、うがった見方をすると自分が考えることをやめてしまう、そのプロセスを自分で経験する機会を逸してしまう、ということにもなるのかなーと思うことがあります。身の回りの様々なサービスを受けず全てを自分でやるなんてとても無理だけど、こんな時だからこそ、「結果」に対価を払うのではなく、すこし時間をかけてプロセスを楽しむ、それも安く!ってのもいいかなという気がします。私の人生の中の目的は、自分で、自分の家を建てることかなぁ(笑)
by nicecuppatea | 2009-02-03 20:07 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

都会の台所は野菜の皮むきがしづらい…

先週末にお金をかけて遠出をしたこともあり、この週末(昨日・おととい)は田舎に行かずに東京の家を片付けたり冷蔵庫の加工品の調理などに時間をかけました。

おかげで、だいぶ今週の台所仕事の下準備(お弁当のおかずとかカレーの煮込みとか)ができて、ゆとりを持って月曜日の朝を迎えることができました。

こうしてみると、やはり「ゆとり」を生み出すために行なっているはずの週末農園生活は、時間的にはかなり私の生活を余裕ないものにしているという実態が明らかに(笑)

野菜の下準備をしていて思うのですが、都会の手狭な台所は、畑から直行してきた根菜などの処理には対応不能な作りになっています(^^

昔、泥付き野菜を台所で洗うと「台所がつまるわよ!」とよく母に叱られたものです。つくづく、無機質な都会の空間は、自然との接点を住居の中にもちこむのに不便な形でできているなぁと思います。

都会の台所では泥をそのまま洗い流せるような場所も少ないし、泥付きのものを置ける土間もないし。だいたいカレーライスなんか作るのに、タマネギ3つ、ジャガイモ4つの皮をむいたら流しの片隅に置いた三角コーナーなんて、それだけで溢れかえってしまう・・・。ちまちまと小さいスペースからはみ出さないように泥の付いた皮を三角コーナーにまとめて捨てるのも面倒くさいし。

-ということで、私は台所の床の上に新聞紙を大きく広げて、泥付きのままのジャガイモやサトイモはここで下に落ちる土を気にせず、広げ放題で思う存分皮むきします。皮むきが終わったら新聞紙ごとまるめて、そのままコンポスターに。

この新聞紙上のスペースが、スーパーで買ってきた季節外れの野菜じゃないものの準備に欠かせない都会での空間です。
by nicecuppatea | 2009-02-02 20:18 | 暮らしのアイデア | Comments(0)