カテゴリ:暮らしのアイデア( 111 )

夏のエネルギーを体に取り込もう…

ずいぶんご無沙汰してしまいました。最近なんだか仕事に追い立てられるような日常で(^^;寝るためだけのために家に帰っている感じ。余裕がありません、イヤなパターンです。

とは言っても、やりかけの仕事を残しても会社から帰れないし、締めが決まっていたら夜遅くまでやるしかないし。

昔は夏休みっていえば、やはり他のどんな四季の休みより、解放感がある特別なものだった気がします。夏の湿った大気、セミの声、蚊取り線香の匂い、そんなものが独特の空気を作り出してそれがそのまま思い出になっています。

中でも、私にとってなぜかミンミンゼミの声っていうのは強力な夏のシンボル。この音がしているのに「夏休み」モードでない自分はとっても寂しい状態にいる気がします。

山梨の畑も雑草に埋もれているとはいえ、この夏の日照りでスイカやモロヘイヤなどの野菜は堰を切ったように育ち始めています。焼けるような日照りの下ではじけそうな甘い水分を硬い殻の中に閉じ込めて大きく膨張するように育つスイカの実。水気の全くない乾いた畑で青々とした葉をものすごい勢いで伸ばすモロヘイヤの葉。

せめて。時に萎えそうになる都会の8月に、生命力を一杯蓄えたスイカや夏野菜をどんどん体に取り入れよう。
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寝るだけのために帰ってもそうめんに茹でて叩いたモロヘイヤ、きゅうりやナスのみじん切りの塩もみ、すりごまに青紫蘇のみじん切りをまぜて、体に流し込みます。
せめて週末までに、先週採ってきた野菜が全て体に取り込めるように。
by nicecuppatea | 2009-08-20 22:10 | 暮らしのアイデア | Comments(2)

ずんだれた週末

ここしばらく精神的にゆとりに欠けるなぁ…と思うペースで日々が流れている気がしていました。

何がバロメータかというと、私の場合、どれほど自宅にある野菜を使って自分で料理したか、ということ。生野菜だけではありません。去年のシーズンにたくさん収穫できて干しておいた干し大根、干しナス、干しゴーヤ、干し葉玉ねぎなどなど。ちょっと時間と手間をかけて自分で料理することでお弁当のおかずになるのだけど、その「ひとてま」をかけられず、平日は睡眠時間が惜しくて、すぐ寝てしまったり。

東京に留まる!と決めたこの週末は、そういう「今まで足りなかったもの」を取り戻す時。目覚ましをかけずに自然に目覚める嬉しさ(^^のんびりと起きて新聞に目を通し、散歩をせがむピーチをなだめながら、ゆっくりコーヒーをすすります。

その後旦那と一緒に、ピーチを連れて少し離れた商店街まで、「今日の食材」を買い求めに眺めの散歩にでます。ここは家から歩いて20分ほどのところにある昔からの商店街で、おでんのネタ屋さん、天ぷら屋さん、鶏肉屋さん、洋品店、刺身屋さん、と「どうやって儲けがでてるんだろう…」といらぬ心配をしてしまうような、安売りをしている古くからの商店が並んでいます。東京にいる週末はここでお刺身と煮魚や丸揚げ用のマルの魚を買うのが習慣になっています。

東京にとどまった週末、このあとどうするかというと、家にストックしてある野菜を総動員して下ごしらえをし、「天ぷら屋」になります。

野菜はタラの芽、ニンジン、新玉ねぎ、長いも、ミツバなど全て庭や畑でとれたもの。それに赤鶏の軟骨を「動物質」として加えて、大量の天ぷらを揚げます。
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これを、酒に強くない旦那はチューハイと共に、お酒が結構好きな私は白ワインと共に、お刺身もつまみながら2時頃からダラダラと飲み、食べ続けるのです(^。^)

3時過ぎには二人とも出来上がり、ホッと一息。お酒が抜けてきたら私はぬるいお風呂に本を持ち込み長時間つかりながら汗を流します。

夕方には再びピーチを連れて長い散歩に。だんだん日が長くなってきた今、これで「ご飯も食べたし、風呂も入ったし、ピーチの散歩もしたし!」と思ってもまだ明るい7時頃。あとはただただずんだれたままテレビ見たり、くだらないこと言ってだらだらして、9時頃には「いつでも寝られる」状態に。

何にも特別なこともないし、どこか特別な場所に行くわけでもない、お金をかけるわけでもないし、あまり褒められた時間の過ごし方でもないかもしれないけど…でもこういうのって結構、幸せの極みだなぁ、と思ったりします。
by nicecuppatea | 2009-05-17 08:22 | 暮らしのアイデア | Comments(2)

美しい剪定枝

先週末、山梨の家にいた時、久し振りに地域の農産物もちより市場、「農てんき」へ顔をだしました。近所の人がつくって安く販売しているしいたけがお目当てでした。

ここへ行くのはピーチも大好き。夏に行けば桃が食べ放題、秋には蒸した里芋やブドウ…と、お店のおばさんも何かとピーチにお土産をくれるので、お腹でよく覚えているカンジです。

「悪いわねぇ、今はなにもあげられるものがなくって」と言いながら、「そのお花、もっていってね」。

レジの隣には大きなつけもの樽がふたつ置いてあってそこには深紅色の桃の枝にびっしりとグレーの毛につつまれた桃のつぼみがついた枝がどっさり水につけてありました。

このへんの桃農家ではこれくらいの時期も、まだ桃の剪定をしている農家が多いのです。切り落とされた枝についているグレーの毛玉くらいの大きさの桃のつぼみは、そのまま水につけておくとだんだん大きくなり、真ん中からはピンクのシルクみたいな花びらが見えてきて、徐々にほつれてついには花瓶の上で鮮やかなピンクの花を満開に咲かすのです。
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一度咲こう!と思った花の勢いは、枝を切っちゃっても止められないのですね。

この時期切った桃の枝を水につけておけば花が咲く、というのは農家の人がみんな知っていること。でも、この時期以降、桃の花の摘蕾、摘花、摘果と追われる桃農家の人たちにしてみれば、「木についている桃」の世話をするので精いっぱい。切ってしまった枝にどんなきれいな花が咲くのであってもそれは正直、かかわっている時間も労力もない…のだと思います。

「農てんき」の素敵なところはこういう農家のやむを得ない落し物も目いっぱい活かしていること。剪定くずであっても、その枝を部屋に飾るだけでうれしい春の気配を一杯に感じられる人がどれほどいることでしょう。それを「ただで持っていけるように」するなんて、どんな高級スーパーでもできない、地元だけの、粋な計らい。

二束も桃の枝をもらって家に帰ってきて庭の剪定屑の山をみたら、ずいぶん前に切ったモクレンの徒長枝の先についた白モクレンのつぼみがほころびつつあるのを見つけました。桃の枝と一緒に大事に東京までもってきて一緒に瓶に活けてみました。モクレンなんて、今まで木のてっぺんでたくさん咲いている花、としか思わずまじまじと見たことがなかったけれど、一夜あけてさらにほつれてきたモクレンの花は、さながらカメオ細工。
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by nicecuppatea | 2009-03-25 21:19 | 暮らしのアイデア | Comments(2)

イスづくりとスプリント編み

昔からなぜか「木の椅子づくり」というものに憧れを持ち続けています。イギリスで田舎風の椅子作り(Rustic chair making)といえば、色々なコースが存在するくらい、ニッチではありますが根強い人気のあるホビーなのではないでしょうか。留学生時代はお金がなくてなかなかコース参加はできませんでした。「勤めだしたら参加しよう」と心に決めたものの、今度は時間がなく(笑)

その、椅子作りの方法も数々あれど、私が特にやってみたいと思っているのはヤナギやヘーゼルの木にスチームを当てながら曲げていってフレームをつくる「ベント・チェアー」と呼ばれるもの、そして雑木林から切り出してきた木がまだ生のうちに電力を一切使わない足ふみろくろ(英語ではポール・レース<Pole lathe>といいます)で皮をむき、成形して椅子の脚やフレームをつくったりするもの。

そして座部はイグサや木の皮で編むんです♪Chair seating(椅子の座部を編んで作ること)といえばこれまた、アンティーク好きのイギリスでは、ニッチなホビーとして確立しているものでした。Seatという単語は、動詞として辞書を引くと「座る」という意味が主ですが、辞書に書いてある意味の最後の方に「椅子に座部を付ける、つけかえる」という意味もでてきます。それなんです!その作業がまた奥深く(^^

日本では居酒屋のカウンターにある椅子の座部がイグサで編んであるのを時々目にしますね、ああいう感じのものを作る作業ですが、出来上がりはあそこまで居酒屋っぽくない(?)、田舎っぽい椅子を夢見ています。

木の皮や木の繊維を長くリボン上に剥いだスプリント(Splint)といわれるものをつかってバスケットやいすのシート部分を編むことは、いろいろな国の伝統工芸に見られるようです。日本にあるものでは竹篭づくりの技術などが一番近いんでしょうかね。その素朴でやさしい風合いにとても惹かれて、ぜひ、一度自分で作ってみたいものだと思い続けていますが、スプリントは自分で木を切ったり、そばで伐採をしている環境がないとなかなか手に入らないので、なかなか試せずにいます…。

昔近所の公園の桜の木を剪定していた時、短く切り刻まれた幹をもらってきて、そこからとれた皮でつくったのがこのとても原始的な箱(--;)まだまだ習熟の余地ありです。
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都会では剪定くずも全てかさばらないように小さく小さく刻んでいくので長いスプリントがとれるような剪定枝は残っていませんでした。いつか、自ら山に入って思う存分スプリントをとってきて、椅子を編みたいなぁ…。

そう思いつつ、今日も東京の狭い家でお風呂につかりながら椅子作りの本を眺め、想像を膨らませるのでした(^^
by nicecuppatea | 2009-03-06 20:47 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

ゆとりの生活を追いかけて

先日も書きましたが、私も田舎で土をいじったり、バスケット編んでみたり、こまこまと畑のもので料理してみたり色々と手を出していますが、それもこれも、週5日間フルタイムで、時には残業もしながら会社で仕事して、それでも時間的、精神的に少しでも「ゆとり」のある生活ができれば、と思うからこそのことです。

ただ、実際毎日の自分の生活の中で、本当にゆとりが生み出されてきているか、というとなかなかそういう実感がありませんでした。

「効率化」という言葉には無機質なトゲがある気がしてあまり自分の私生活にまで持ち込みたいとは思いません、が、何かちょっとしたことに気を使ったら「平日の夜でもバスケット編みの気力も時間も残ってた!」となるようならば、ぜひそうなってみたいものだと思います。

早起きする、自分の時間を何に使ったか管理する、手帳を有効に使う、とノウハウ本は色々でています。ただ自分の生活に実感をともなって「これなら私にもできる」というものでないと、私生活まで「管理され感」が強くなりそうで、巷のノウハウ本などにも手を出したことはありませんでした。

きっとこういうのって、本に載っているのをそのまま試すんじゃない。自分の生活の中であればどんなこと?って自分で小さなアイデアを見つけていくものなんでしょう。遅まきながら私の生活も自分で振り返ってみました。書き出せば恥ずかしいような小さなこと、例えば…

ピーチに朝晩のフードと一緒にあげる温野菜は毎日煮ないで数日分まとめて作る
帰宅したら座り込む前に着替える(小学生かよ、って感じですが(笑))
夕食を終えたらそのままダレないで夜のピーチの散歩に出かける前までに翌日の晩御飯(せめて一品分)の下準備もする
朝、胃もたれした気持ちにならないように、夕飯には揚げ物を食べない
朝目覚めたら、寝床でテレビをつけて覚醒を待つ時間は15分まで!

こんな小さい自分との約束の積み重ねならば、マニュアル本より敷居が低くて(レベルが低くて、とも言う)、とりあえず試してみられそうです。
by nicecuppatea | 2009-02-04 19:46 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

プロセスを楽しむ

最近巷では不況にからんで、節約術、外食ではなく家庭で安くおいしく料理するコツ、スーパーの価格値下げのニュースなど、「不況の中どうお得に生きていくか」みたいな切り口のニュースが連日テレビや新聞を賑わしていますね。

確かに、身入りが減ってきたり、原材料の高騰で商品の値段が上がったりする中では、日々の普通の生活が難しくなってきているのは事実なんでしょう。でも時々思うことがあります。

「だってXXに○○円かかるでしょ、△△も買い換えないといけないし、◎◎もしないといけない、◇◇も必要…ああお金が足りない」なんていう言葉を巷で聞くたびに、「でもそれって本当に思っているほどのお金をかけないとできないことなの?」と。

イギリスにいる時友人知人を見ていて驚かされたのは、誰もが何でもかんでも「自分でやろうとすること」でした。家のドアのつけかえ、台所まわりのタイル張り、リビングの壁のペンキ塗り…。「すごいね」と感嘆する私に「人に頼むとお金がかかるのよ。それに本当に腕のいい人かどうかもわからないわ」。どうせ下手ならお金を払わずに自分でやったほうがまだまし、ということでしょうか。高いお金を払って大工さんに依頼する日本では圧倒的にお金を払った人の腕をお客である我々が信頼していますが、どうもそういう事情でもないようでした。それがDIY(Do It Yourself)をこれほどイギリスで盛んにした裏事情のひとつとも言えるかもしれません。

その代償として、お手洗いの取っ手を勢いよく回したらそのまま抜けてしまったり(ちなみにディナーでお呼ばれしたお宅での出来事でした…)、雨になると湿度を吸った勝手口のドアが「開かずの扉」と化すような立て付けだったりと、驚くような不具合もでてきたりしますが(^^でも、DIYだけではありません、家族旅行の手配、自分の結婚披露宴のアレンジなどなど、とにかく自分でやっているから、人に頼むのとは比べ物にならないほど安く済むのだろうな、という例はたくさんありました。

「そんなこと、忙しくてしてられない」という人もいるでしょう。一般的に日本人は(と大きく括ると誤解がありますが、概して、の話です)、自分で考えるのは時間がかかるしよくわからないから、多少お金がかかってもきっちりした形で出来上がっているパッケージ、セット、といったものに惹かれる傾向があるのではと思います。朝・昼・晩と食事が全てついて、何も自分で心配することのない海外パッケージツアーなどを好むこともしかり、保険に加入するといえば、「提案メニュー」としてユニットタイプをそのまま使ったり。

えてして、「サービス業」と言われているものは、自分が考える代わりにいろいろ調べて、自分の代わりに選んでくれて、自分の代わりに何かを実施してくれている、という性質が少なからずあるでしょう。結果、そのサービスを受ける我々は、時間や手間をかけて考える代わりにお金を払って簡単にコトを済ませることができる、というものです。

便利ですよね、そういうのって。でももしかしたら今の時代って、一度、原点回帰するというか、そういう自分たちの普段の行動を振返り、考え直すきっかけなのかもしれません。今まで「到底自分ではできない」と思っていて、人にお金を払ってやってもらっていたこと、それはもしかしたら専門家に「そういう風に思わされていた」のかもしれない…と疑り深い私などは思ってしまいます。「パッケージ」の中身をよくよく見たら「なんだ、私こんなことしたかったわけじゃない」という本意に反するようなことも、知らず知らずのうちにやっている、っていうような可能性だってあるかもしれません。

お金を払って人に頼む、サービスを受ける、というのは、うがった見方をすると自分が考えることをやめてしまう、そのプロセスを自分で経験する機会を逸してしまう、ということにもなるのかなーと思うことがあります。身の回りの様々なサービスを受けず全てを自分でやるなんてとても無理だけど、こんな時だからこそ、「結果」に対価を払うのではなく、すこし時間をかけてプロセスを楽しむ、それも安く!ってのもいいかなという気がします。私の人生の中の目的は、自分で、自分の家を建てることかなぁ(笑)
by nicecuppatea | 2009-02-03 20:07 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

都会の台所は野菜の皮むきがしづらい…

先週末にお金をかけて遠出をしたこともあり、この週末(昨日・おととい)は田舎に行かずに東京の家を片付けたり冷蔵庫の加工品の調理などに時間をかけました。

おかげで、だいぶ今週の台所仕事の下準備(お弁当のおかずとかカレーの煮込みとか)ができて、ゆとりを持って月曜日の朝を迎えることができました。

こうしてみると、やはり「ゆとり」を生み出すために行なっているはずの週末農園生活は、時間的にはかなり私の生活を余裕ないものにしているという実態が明らかに(笑)

野菜の下準備をしていて思うのですが、都会の手狭な台所は、畑から直行してきた根菜などの処理には対応不能な作りになっています(^^

昔、泥付き野菜を台所で洗うと「台所がつまるわよ!」とよく母に叱られたものです。つくづく、無機質な都会の空間は、自然との接点を住居の中にもちこむのに不便な形でできているなぁと思います。

都会の台所では泥をそのまま洗い流せるような場所も少ないし、泥付きのものを置ける土間もないし。だいたいカレーライスなんか作るのに、タマネギ3つ、ジャガイモ4つの皮をむいたら流しの片隅に置いた三角コーナーなんて、それだけで溢れかえってしまう・・・。ちまちまと小さいスペースからはみ出さないように泥の付いた皮を三角コーナーにまとめて捨てるのも面倒くさいし。

-ということで、私は台所の床の上に新聞紙を大きく広げて、泥付きのままのジャガイモやサトイモはここで下に落ちる土を気にせず、広げ放題で思う存分皮むきします。皮むきが終わったら新聞紙ごとまるめて、そのままコンポスターに。

この新聞紙上のスペースが、スーパーで買ってきた季節外れの野菜じゃないものの準備に欠かせない都会での空間です。
by nicecuppatea | 2009-02-02 20:18 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

第二回都心周遊大散歩

東京で週末を過ごすことにした今日、再びピーチを連れて「東京周遊散歩」を決行。前回は皇居を通って東京国際フォーラムの方まで行きましたが、今回のルートは、白山から東大を抜け、上野公園、アメ横と通り、稲荷町近くのかっぱ橋まで行って帰ってくるコース。この間、夫婦どんぶりをひとつ割ってしまったので、それを買い直しに行くことが目的です。銀座線で行けばすぐなんですが(^^

普段あまり歩道をつぶさに見ながら歩かないので、改めて歩道の隅に目をやりながら歩くとこんな東京の真ん中の歩道にも、地元のボランティア団体が里の草を植えてその世話をしている説明書きがあちこちで見られて、単なる街路樹以上の色々な試みが行われていることを発見。ひところ前ならこのあたりの道路の植栽は、街路樹のイチョウの木の下にツツジの植え込み。どこもそればかりで変化はなかったのに。しかも有志のグループが自主的に管理をしているとは。人の意識も、志向もずいぶん進化しているのだなぁ、と私には思えました。

「進化」って、何も新しい「もの」を作り出すことばかりではない気もします。例えば古い建物を保全する、ということはあまり東京の真ん中では考えてこられなかったような。耐震性などを考えれば致し方ないところもあるのでしょうが、それでもある心意気を持って古い建物を敢えてそのままの形で保全・利用し続けるというのは、ある意味とても新しい考え方と思えます。ウチから東大に歩いて行く道すがら、いつも気になっていたこの建物。
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土台には赤いレンガが積まれており、かなり年期の入った木造3階建て。長屋のようにも見えますが、窓辺をみるとまだしっかり住人の方々の生活が営まれている、現役の「賃貸(ではなかろうか?と想像)」であることが見て取れます。あえてこの建物を残す人、この建物に住むことを選択する人、やはり新しい!と私は思います。誰かこの建物について知っている人、いないかなぁ。

かっぱ橋で目的のどんぶりを無事購入した帰り道、久し振りに東大構内を散歩していて驚いた!中にコンビニ、ファストフード、コーヒーショップのチェーンが軒並み店を並べています。もちろん校内は基本的に誰でも出入り自由。e0151091_19313932.jpg
見慣れたコンビニもこんなゆったりとした古いビルの1回に入って目の前にテラスができているだけで、何やら高級かつゆとりを感じる雰囲気。最高学府もずいぶんフレキシブルなんですね、昔はこんな店は構内に全くなかったものだけど。商売っ気がでてきたと言うべきか。とにかく、立派な街路樹が立ち並んだゆったりした道路をはさんで大学校舎や病院、グラウンド、コーヒーショップなどがゆとりを持って存在していて、歩いているだけで気分が良くなります。こうして地域の資産は近くに住んでいる人たちの生活の質の向上に貢献していくんだなーと感じます。もう少し近ければ毎日散歩に来たいくらいです。

交通費は一銭もかけなかったけど5時間の散歩中、結局稲荷町のテラスカフェでお茶、アメ横そばのコリアタウンのスタンドでチヂミを買食い、アメ横ではミックスケバブサンドにかぶりつき、ワンづれなのでお店に入らなかった割にはかなり買食い放題な散歩になってしまいました…でも東京が感じられる長歩きも悪くないもんですね。
by nicecuppatea | 2009-01-10 19:33 | 暮らしのアイデア | Comments(0)

玄関は土間?!

今週は田舎に行かなかったので、何となく物足りない週末なのですが、ある意味過ごすべき時間を東京で過ごしたともいえます。…というのも毎週金曜日の夕方に東京を後にして、日曜日の真夜中に東京に帰ってきて月曜日から金曜日まで働いているわけですから、東京の「平日の住処」は荒れ放題で(^^ゝ

我が家は1DK。通常は一人暮らし用の間取りでガスコンロも1つしか鍋が置けません。玄関を入ると狭い通路の横にそのまま風呂とトイレが見えて、やはり一人暮らしの「一時的な家」的な場所なのです。実際同じ賃貸に入っている人たちはほとんどが単身赴任の人や一人暮らしの大学生。

そこに通常より大きいサイズの男性と女性、通常より重ための犬、自由に出入りするねこが一匹、それに毎週段ボール3箱分の野菜や食物が田舎からやってくるのですから、常識的にはなかなか「居住地」の体をなすのが難しい状況です(^^

特に先週畑の全ての芋を掘りだした後、凍みてしまう可能性のある寒い田舎の家から、大きな段ボールにめいっぱいさつまいもと里芋をつめて全て東京に持ち帰ってきていて、それでなくとも小さい玄関の半分のスペースを占め、玉ねぎやニンニクなどの根菜、夏の終わりに刈り取ったかぼちゃが所狭しと置いてあり、靴入れの上の棚からはドライハーブや乾燥唐辛子がバスケットいっぱいになって吊るされています。さながら農家の土間の様相。
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玄関が汚いと運が逃げていくというし(^^;)今週末は玄関の整理にあてることに。

使わなくなったねこの家、数の増えすぎた傘など整理して、芋類はスーパーの黒い不織布のマチの広いエコバッグに小分けにして棚にしまいました。これらの棚はイギリスから帰国当時、古い靴箱や廃材をかき集めて自分で作ったものなので愛着はありますが、使い勝手がイマイチ(笑)何とか現状の棚に全ての野菜を袋づめにして収納したら、ようやっと人間の住処なりの玄関になってきました。

直近で使いそうな三種の芋(さつまいも、ジャガイモ、里芋)はイギリスで初めてバスケット編みを習った時に編んだ、いびつなウィローのバスケットに。イギリスから帰国する時、かさむ荷物の山の前に「持って帰ろうか、置いていこうか」悩んだ末に、荷物を増やしつつ持って帰ってきた大型のバスケット。時が経ってみると、高級でも何でもなく思い出がついて回る手作りのものが一番貴重品になってきたりします。

その後、日本で見つけた素材を使って編んだり、イギリスに友人を訪ねて行き、再び環境保全活動に参加しながら刈り取ったウィローで編んだりしたバスケットが、東京の狭い我が家の、土間のような玄関にはたくさん吊るされています。気がついたら随分色々な所の素材がこの狭い場所に集まったなぁ。
by nicecuppatea | 2008-12-15 21:27 | 暮らしのアイデア | Comments(2)

焚き火番、早くも失業か!?

最高の焚き火番がいる、と昨日申しましたが、「実は焼き芋は焚き火が一番ではないかもしれない」と実感している今日この頃なのです。

今週、山梨のホームセンターで買ったのがこれ。その名も「陶器 焼き芋鍋」。わざわざ焼き芋をコンロで焼くなんて、私のポリシーに反する!と、感覚的に思っていたのですが…。
e0151091_21162844.jpg考えてみたらコンロで焼く焼き芋が嫌いなのではなく、「すでに何かの目的に使っている熱源を他の物にも利用する」っていう考え方がなんだか好きなのです。
ここでも「寒気がするくらいケチ」な私の面目躍如(^^

たとえば焚き火なら、畑の残り枝や草を燃やして嵩を減らすと同時に、炭をつくったり、畑に肥料として撒く草木灰をつくったりできますが、その火を使って「焼き芋までできる!」という事実が、単純にうれしいものでした。

ということで、もし焼き芋が焚き火でなく「ストーブの上でできる」なら、それでオッケー!!なのです。この「焼き芋鍋」は私のそんな理想を叶えてくれる、しかもお値段も2000円くらいの、うれしいもの。東京では使っていない石油ストーブの上に置いておくと、その熱でねっとり、甘い焼き芋ができました。
e0151091_21174749.jpg正直、焚き火でできた焼き芋より旨い…。これがあれば今年は小さい痩せた芋もまとめてこれで焼いて、寒風の下で乾燥させて、細かく切って、ピーチのトリーツに。

居間のファンヒーターの真ん前には畑でとってきたミントの葉を、籠にいれて置いてあります。これは乾かして来週会社で飲むミントティーに。ケチといわれようがなんといわれようが、こればかりは性分なのでしかたないです(^^;おいしいんだから、いいもん。
by nicecuppatea | 2008-12-03 21:20 | 暮らしのアイデア | Comments(2)